認識が違うと情報が狂う

 情報が狂っていると認識が狂うが、認識が違っていると見えにくいモノがさらに見えにくくなるので、情報もまた狂う。どっちが先か良くわかんないね。先入観なしに状況全体を判断する能力が必要なのだろう。
 あいくらたさんところでも、情報ソースを大切にするが、それは情報を積極的に求めていく人のものであるし、公言するときの姿勢としては正しいのだろうが、明らかな情報ソースから、明らかな結論を導き出すなんざ誰にでも出来ることで、そんな(明らかな情報ソースを集めてくる)手間を自分以外の他人様がかけてくれることなどは少ない。
 結局のところ、情報から評価をする能力は、科学を身につけるだけでも良いのだけど、情報そのものを評価する能力はやはり教養なのだと思う。本当そうだ、嘘っぽそうだという予断なしに、人は情報を収集しようとしない。まぁ、判断を保留する能力もまた似たようなものなのだけどね。
 これだけの状況証拠と現実と歴史の類例と情報断片がそろっていて、それでもなお、現実と向き合おうとしない人は多い。同時に「ヘッジ」の意味がわかっていない人も多い。
 僕としては、使命感を持ってお話をすることに意味があるのだから徒労感はないのだけれど、先入観を前提に情報を集めてこられると、その人を馬鹿にする気持ちが出てきて、自分にとって良くない。
 状況判断に対する頑迷は蒙昧の産物だ。理念は頑迷でも構わないんだけどね。