はじめまして

 同じ経験をした人と比較するまでわからなかったが、僕は18歳までの記憶が驚くほど少ない。事実上の精神発達遅滞もあっただろう。また、囲碁などでも高級者は対局の最初から並べ直せないのと同じで、それぞれの行動に裏付けがないために覚えていないこともあるのだろう。

 昨日の冒頭は中島みゆきの「はじめまして」であった。歌詞はリンク先にある。これは伏線なので、まぁ読んで欲しい。

 今でこそ、ニューエイジからジャズ、あるいはQueenなどソウルの入ったものをそれなりに聴くが(エアロスミスは入れなかった)、中学高校の頃はオフコース中島みゆきが主体であった。(僕の父親は10人中8人から「音楽大学に行くと思った」と言われたほどの音楽系の人間で、僕がオフコースなどを聴いているとピアノで仕掛けてきたものだったが、58歳の時に脳内出血で倒れ、左手の握力を失ってしまった。外科医の平均寿命が短いのは良く知られた事実であるし、内科であれば左手の握力ぐらいではキャリアを損なうこともないが、メジャーな麻酔科医には致命的で、今は65歳になるが転科してリハビリ関係をやっている。お金のことなんかよりも仕事に興味がある純朴な職人だ)

 大学で行った栃木で、高校まで同じ北部九州にいた人が飲み屋をしていて「出てきた奴と出てこない奴の違いはひとつ。何かを換えようと思った奴とそのままで良いと思った奴」と言われ、自分ではそういう自覚はなかったものの妙に納得したのを覚えている。その親兄弟と親友以外との記憶はほどんどなにもない故郷に戻ってきて、この3月で8年。受験勉強のために外を出歩いていないので、通学路以外は道や地理すらもほとんど記憶にない故郷だった。

 こういうのも「思えば遠くへ来たもんだ」って言いますかねぇ?栃木で出会った前述のひめちゃんも今はもう28歳。antは32歳。

 中島みゆきの「はじめまして」は、明日があるかどうかわからない人の歌だと思う。もっとも、初めて聴いたときにはそれほど僕自身が追い込まれているわけでもなかった。今だからこそ「そういえば栃木の不登校関係では好きな人が何人かいたなぁ」と思う程度だ。しかし、この歌詞は明日をも知れぬ精神が歌ったものではないかと、今は感じる。

 実は長渕にもビョーキが表現されている歌(しかも表現が美しすぎ)はいくらかあるのだけれど、自己耽美が過ぎて美しさには感動できても移入できるようなものではなかったように思う。

 とまぁ、木曜日締切の文章に、いつ頃の僕の何を書くかを迷う夜。