思想を棄てる?
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/
のブログについて(もちろん嫌いじゃないんだが)
http://d.hatena.ne.jp/jimrogers/20050906
で、「思想がなんぼのもんや、というラジカルな立場に、日本人はまだたどり着けていない。」と書かれていたが、
僕に比べるとだいぶ方向性のはっきりした思想を打ち出しているような・・・。
民主主義的というのは「多数決で決まったことならそれで良いじゃん?どうせ俺の思想も大したことないんだし」というあきらめなんだと思う。構造主義的とも言うんじゃないかな。そうした自分の発想や思想のくだらなさ、不確定性をそっちのけにして、主義を喧伝することが果たして「思想がなんぼのもんや」なのだろうか。
彼の変遷は僕と似たところがあるが、勝ち組に対する強烈なコミットが感じられないところで、結果は違ったものになるのかもしれない。結局、自分がコミットできるのは自分の人生だけだからねぇ。社会変革じゃないよね。この辺は共有してると思うけれど。組織と個人の関係については、全共闘と赤軍のドキュメンタリーで痛いほどわかったから同じ道を歩まなかったのもあるかも。
それが合理化されるのは、企業体だけだ。
素晴らしい
http://d.hatena.ne.jp/hidex7777/20050906/p1
「主義の絶対化は蒙昧の表現型である」とは言ったものの、こうした人の幸福に僕の幸福がうち勝つことはない。総和快楽主義は、このような盲目の信仰を否定しない。オウム信者を擁護したが、理屈は同じなのである。僕はこのような人に、蒙昧から脱却する知性と同時に現在と同じだけの幸福を与える能力がない。
「呆けてしまった方が勝ち」という多くの人のものの見方は、ある種の真実を突いていると言って良いだろう。
ちなみに、このサイトに行き着いたのは件の彼女のブログからだが、実存がここにしか行き当たらない点で、やはりレヴィストロースの峠を越えることがないのは、悲しい現実だ。サルトルとれレヴィの論争でどちらに利があったかを問う人は今はもういないのに・・・。
近代哲学を勉強しましょう。