輻輳だが

ふくそう、と読み、確か韓非子かなにかにで初めてみた言葉だ。
車輪の中心の車軸に向かってスポーク(東洋ではなんと呼ぶのだろう)が集中している様から、一カ所に集中して混乱する様子を表すとか何とか教わった気がする。本当のところは辞書を引けばいいわけだが。

おもしろいと思ったのは、これが現代日本の交換機用語であること。漢文の素養のある人間が用いた用語であるに違いないのがおもしろかった。もっとも、明治知識人の作語力は相当のものであるので、この程度の漢文素養の片鱗は対して驚くに値しないのかもしれない。

郵政(前島密系)の、はがき、かきどめ、ふりこみ、きって、とめおき、ししょばこなどは、すべて造語だそうだ。美しい日本語であると思う。そうそう、明治知識人の訳語といえば、福沢諭吉だが、彼の翻訳の苦労は試験問題の文章題でしか読んだことがない。しっかりと読んでみたいものだ。

ちなみに、諭吉の造語の例は、自由、版権、競争、経済、権利、義務、などだったと思う。国語辞典には誰の作語かちゃんと書いておくべきだよなぁ。