僕のような人の影で

僕のような人の影で多くの人が死んでいっているに違いない。詐欺師の周りでも何人も死んでいるのかもしれない。だが、自分が持っているものと、自分が欲しいものを天秤に掛けて博打を打つという作業は、大切な人生選択だろう。

総和快楽主義の基本は、この天秤にある。自分の持っているものが小さく感じるか、大きく感じるかは個性であり、いわば器と言っても良い。自分がやりたいことのために東大の医学部を中退できるのは、おおむね馬鹿だからではなく、この天秤感の中で「東大の医学部卒業の医者になること」が本人にとって小さいことだからに違いあるまい。

つまり、命を懸けた博打というのは、不自由に人生を生きるぐらいなら次回でやり直したいと思う天秤の結果なんだけど、命が軽くなる器というのが健康かどうかは別の問題だな。レーサーとか傭兵に命賭けて取り組んでるのと一緒なのかな。よーわからん。

ま、天秤を持ちましょう。そして、使いましょう。