不登校の会の新年会

 思っていたのと別のことを話す某母親にびっくり。と思ったら、昨年の12月23日まで気づかなかったとのこと。そーかいそーかい、それでいきなりガスが抜けたのかいと、今謎が解けた。年末は俺的には一つの結末を覚悟したため(いやなに、覚悟するほど関係が強い距離感でもないのだが)、読み外れかなと思っていたのだった。

 他方、開けてこない引きこもりの母親連中二人と話し込めた。まぁ、今の僕は子供の立場でも親の立場でもあるわけだし、どんな生活をしていてもリスクは消えないという話や生活不安と幸福に絶対の相関はないという話もできるわけであるし、周囲の話がわかる人を交えて、想像していたよりも遙かに建設的な話が出来て、言葉が通っていたように思う。聞くと感じるが大違いなのはお約束。

 これまで通り旦那に仕事を続けて欲しいのに、家庭生活だけ自分たちと向き合ってよというのは、無理よ。無理。仕事をし続けるためにそういう風にして自分のバランスを取ってるんだから、それ以上のものは抱え込めないでしょ。そのバランスの気持ち良いところだけをそのままに、気持ち悪いところだけを修正するなんて虫が良すぎ。

 不登校も引きこもりもそれまでの蓄積の結果なんだから、それまでの蓄積を見直せなければ楽にはならないよ。そういう人と結婚し、そういう役割を演じ、そういう家庭生活の中で弱いところにしわ寄せがいっただけの話。過去は変えられないのだから、現状をどう受け止めるかというあなた自身の話なのよ。

 こんなしっかりした話をふんふんと、涙ぐみながら聞いた後で「23歳になる娘が普通の生活をしてくれない」とか言うんだから、スピリチュアル的には「業が深い」ぜ。あげく「娘が成人してローンを組めるようになったもんだから金が出ていって困る」だもんね。「払うからですよ」と言うと、「だって裁判所が来た(訴状が届いたことを言っているらしい)」だってさ。救いようがない。裏を返せばそれだけの状況判断が出来る(親にねだる代わりにローンを組んで回るらしい)23歳の娘なら、どうやら本格的に引きこもっているわけでもなさそうだし、実はほとんど正常なんじゃないの?というのは何年も前に言ったことだけれど、やっぱり届かないのね。