生テレビ見終わった

 今回のお題は教育。水谷先生が出ていたのが僕的に注目だったが、さすがに学校の先生を長くやっただけあり、普通の教育者としての発言がなかなかしっかりしていたように思う。(水谷先生って、ほんとーに良い顔してると思います。精神的にもそうかもしれないけれど、それが霞むほど物理的に。男性の顔をこんな風に格好いいと思うことってないんですけどねぇ)

 全体の感想としては、さすがに時代に追いつかれ始めたといった印象。学校だけで教育をしているわけではないので、家庭、社会、地域を含めた展望を見据える必要がある緒言う話。

 以前(10年前)から言っているように学校は情操教育を捨てて、自動車学校方式になるしかない。それだけの人材(教師)しか育成していないし、人間教育を行うためには大量の解雇を行った上、極めて高給の教師を知性に基づいて雇用するしかないため。唯一、ODAの延長で基礎学力のある日本人教師を途上国に赴任させるという方法も当時は提案したが、迫力からいって無理があるだろう。

 さすがに今は、万引きをしたときに教師が呼び出される事はなくなったのかな。呼び出されても行かなくなったのかな。どのみちそうした状況に対処する能力(人間教育能力)が今の教師にあるわけはないのだから、無理は話だったと思う。

 僕も書こうと思ってたけれど、国力としての学力低下問題はほとんど問題にならないんだよね。トップさえしっかりしてればそれで良いわけだから。ライスがアメリカに一人いるように、その半分の確率でライスのような人を輩出できればいいわけ。勝手な言い方をすれば、二十代の業績だけを比較すると西部、舛添、浅田とかになるのかな。となるとむしろ人材配置の問題だな。

 しかしこちらは、それほど対処の必要がある状況にならないものだ。僕がかつて、東大入学者の一番の相関である親の所得と、中等以下での英才的教育、自分のIQまでをも論拠として、東大に行けなかったのは精神的問題のせいであると強弁していた時期が二十代前半にはあったが(認めたくないものだな。若さゆえの・・・)、真に能力がある者ならいかなる環境下でも東大ぐらいには入ってしまうものなのだ。ましてや親元を離れて生活してからの業績(半世紀に1人クラスの)など、そうした生い立ちと強い相関があるわけがない。

 むしろ、分布で見えるところの下半分、学力テストをしても何も書かず、両親からは明確なネグレクトをされて育った人たちのほうが、社会不安を醸成するとして圧倒的に問題なんだそうだ。それはそうかもしれん。さすがに出てきていた人たちぐらいでは平等=善といった発言は聞き難かったけれど、福島瑞穂とか、日教組委員長とかであれば、チャンスがあればそうした発言になったのかな。

 10年前ぐらいの生テレビ(教育)のとき、戸塚宏が出ていて、戦略的な教育論としてどうやって勉強させるかではなく、どうしたら勉強したくなるのかという提議が必要なのではないかと言っていて、それこそがまさしく正しい(総和快楽主義の立場からも)と思っていたのだけれど、今になってみんなが同じ事を言う罠。

 今回の生テレビで、僕が持っている言い方で言われなかった数少ないものは「自動車学校レベルの学校構築」のみだ。格差是認や、トップレベルの維持は好みの問題だから、誰かが言っていないからといって意見を持っていないというわけでもないだろう。

 あ”ー、このまま時代に追い抜かされてしまったらどうしよぅ・・・。と不安になる今日この頃。目立つ道を歩むのか、ひっそりと自分の快楽を追究するかどうかの決断もついていないのに(笑)