アイフルが

 利子取りすぎとかで訴訟を起こされているとのこと。まぁ、それでも借りた側の責任が云々されるのは良く分かるし、「借りた金は返そうぜ」というのは普通に道徳的ではある。
 しかし「良い思いをしている奴をうらやむ(憎む)ぐらいなら、良い思いが出来る側に回ろう」という僕の思想からすると、「金を借りても返さない奴がたくさんいて、税金まで使い込んでいる奴がこれだけたくさん居るんだから、犯罪でない以上同じ側に回るだけの知恵があってもいいじゃないか(知恵を使う使わないは別)。そうしたアンフェアが前提ですらある社会構造のなかで自分が被害者にならないことの方が圧倒的に重要」と僕は考える。
 何を言っても実効優位こそが大切。警察の裏金?、見えない金が飛び回ってる?、土建国家?、どこを向いても自分の弱さを明確に自覚するものが、その弱さを補って強者として振る舞うためにやっていることばかりだ。しかし、結果的に無策なものよりも遙かに良い思いをしている。
 そうした知恵の一発現形態であるのならば、かなりみっとも悪いし、勝算は低いし、効率も悪いが、このぐらいの訴訟、出来ない奴よりは出来る奴の方が良い思いをする可能性は高いだろう。
 現代社会がフェアであった瞬間など存在しない。フェアで公正な社会という幻想を多くの人に抱かせた功績は大きいし評価もするが、なにも僕らが一緒に騙されることはないではないか。
 社会的な罪に問われず、己の良心に照らして悪でなければ、まぁ大概のことは許されると思う今日この頃なのだ。良心がない奴はどうしょうもないけどね。金がある奴から表情と気持ちが乗らない金をぶんどるぐらいで良心がとがめるのはどうかと思う。
 明言してはばからないが、僕は「人の顔が見えないお金」なら何十億円踏み倒しても良心がとがめません。気持ちがあるお金は100円でも嫌だけどね。あ、税金だと顔は見えないけど、良心がとがめるなぁ。意外にあてにならん断言だな。
 あ、「とがめる」って「科める」なのかな。うーむ。