家庭で受け継がれるもののこと

 一日だけど、ネタをやったことがないなぁ。

 おそらくIQは生後の刺激によって決まるのだと思う。まぁ、だいたいそんな感じの研究結果が出ている。自慢すればうちの子供などがひとつの例だろう。七田チャイルドもそうなるのかな。しつけも、おそらく家庭教育で決まるのだろう。んで、学歴ならともかく教養も、実は家庭内継承が最有力なのだと思う。金遣いの方針など最たるものだ。年収1500万円でカローラに乗り続けるような金遣いの感覚は、おそらく普通はあまりないのではないだろうか。愛もそうだな。ろくでもない男のヒモになり続ける女性の家庭環境が比較的似ているというのは実証に近いレベルの話だろう。健康に直結する食生活もそうだな。

 つまり、家庭内にこうした継承財がある家庭で育つかどうかで人生は大きく違う。(だから、この部分の何かを補償するような活動は僕はずっとやってきているし、これからもやるだろうと思う)

 まぁここまではまだいわれる可能性があるレベルの話なんだけど、現代はもうちょっと事情が違う。親はいても成人するまで親と食事をしたことがないような人が大量に生産されつつあるのだ。ネグレクトの延長である。

 私学が荒れないのは、退学に出来るから。あるいはネグレクトレベルの育てられ方をした子供がほとんどいないから。格差が世代を超えるのは歴史的には普通のことで、日本においても世代を超えないと思われていた時代はだまされていただけだから。

 大都市での学級崩壊が多いのは、ネグレクト系の親は田舎にはあまりいないから。罰で社会の規律はある程度保たれるだろうけれど、それは逆に「罰を受けなければ何をしても良い」という法治国家の進みやすい方向に社会を進めやすいし、教育現場での罰は、罰に耐えられる子供には教育になるけれど、ネグレクト児童のように耐えられない子供は、学校に来なくなるだけだろう。

 格差の是正が「貧困層の存在比」で語られることが多いということからすれば、この最低レベルの上昇が中心課題なので、私学に進む家庭のケアを考えることはあまり建設的ではないのではないだろうか。


 もう少し自分のフィールドで話をすれば、現在の学校にはそうした罰を与える能力すらない(罰を与えるためには裁く能力が必要だが、それが教師にゆだねられるのはきわめて危険)ので、自動車学校形式の学校が望ましいと考えている。学校をしつけを行える場所にするのは並大抵の改革では無理だから。
 そうすれば、授業中に授業の邪魔をする子供は退室を命じられるので学級崩壊は解決する。それでも権力の乱用はおこるだろうけれどね。あの程度の教師しかいない現場に権限の委譲をするのは相当に怖いと僕は思う。

 結果としても厳然として私学の優位性は存在し続けるだろう。だって商品なんだから、高いんだからそれだけの価値を提供しないと商売が成り立たないし。1960年代から東大入学者の85〜90%は年収1000万円以上の家庭の出身だったことから考えても、そうした問題ではおそらく格差は解消しない。

 こうなると、解決の方向性は最低レベルのケアではなく、最高レベルを挫くことでしかなしえないのだと思うが、そんなことしたら国が維持できなくなるし。まぁ、いまでもトップが挫かれて60年たつわけだが、その証拠に宗主国から国を守る意識のある高級官僚はほとんどいない。