ちょっと洗練されたので持家神話についてのまとめ

 総じて2つの壁がある。
 一つ目の壁は「なぜ家が欲しいのか?」という精神的問題。まぁ、これは持家神話でも書いているし、その背景に愚鈍な消費者から金を巻き上げようという巨大なシステムが存在することもはっきりしている。ただ、僕が気づいていなかった部分では「他者による自己承認や、単純な自己規定のために」とか「借金ぐらいないと、働く意欲がわかない」とかそういう寂しい動機も存在するようだ。

 これはつまり僕のいう金遣いの大原則のひとつ

この世の中の多くはお金で解決できるが、残りはお金では解決できない。お金遣いがうまいということは、お金では解決できない問題にお金を投じないことだ

というのに当てはまる。その後自己破産したら余計に信頼を失うし、そもそも6000万円のプライベートバンク口座のお金ならともかく、6000万円の居住用住宅を所有していることでその人を信頼する人たちのレベルもまた、お金使いに対する能力が極めて低いということに他ならない。下流の定義が所得で語られることが多いが、本当は「消費行動を含めたお金に対する技能が資産増加傾向を持っているかどうか」だろう。これが下流の実態だと思う。

 自分のことでないと良くわからないもんだね。その精神的問題によって費やされる数千万円(宝くじ数本分ですぞ)と、おそらく数十パーセントの自己破産の危機というのは、もはや信じがたい天秤だけれど、まぁ、そういう動機はあるらしい。最近知った。
 結婚したいとか、子供が欲しいとか言っている人たちの動機も、似たようなものなのかもしれないとつくづく思うし、結婚という作業によって得られる他者からの承認は、もはや馬鹿馬鹿しいほどのものがある。社会全体で頭が悪すぎる。
 しかし、そういうコンプレックスを抱かせてしまった以上、産業構造としての住宅産業は成功していると僕は思う。

 ふたつ目の壁は「その精神的問題による不合理的経済活動を認識した上で、どう建てるかという方法論はある」というもの。これはここでは書いたことなかったな。

建築費に占める材料代金は5〜15%程度なので、これを二倍にして材料を調達しても、全体の工費は5〜15%程度しか影響を受けないが、このことによって躯体のもちは2倍ぐらいにはなる。

 節の許し方によって、木材の注文を細かく行うと材料代がぐっと安くなる。あるいは節そのものを嫌わないことによって材料代は相当安くなる。

などが代表的なもの。まぁ、そんなところか。しかし、心理的なものによって人がいかに不合理な消費行動を行うかという具体的な勉強にはなった。この分野は行動経済学と言います。住宅に関しては日本人に特有だけれど。くしくもダニエル・カーネマンの本を読んでいる間の出来事。