ある経営者に会った

 32歳、年商1億。荒利30%、純利10%。起業後10年、数々の寄り道を重ねつつ、これまでよりは徐々に厳しい経営環境におかれつつある。
 営業系の社長の企業って、潰れる可能性はほとんどないんだよね。ただ、ビジョンがまるでないので、10年、20年を振り返ってみると「ずいぶんと無駄をしたなぁ」という死屍累々の歴史が横たわっていることが多い。
 頭は悪くないし勉強はしているけれど、具体的な人生や経営のビジョンがあるわけではなく、多少の考慮能力はあってもそれを具現化するアイデアを発案できる可能性はゼロ。普通の人なので、普通の人が思いつかない部分をひらめく可能性は低い。人と情報をまっとうに評価する能力がないので、年商とか、周囲の評判で右往左往することになる。
 たまたま運良く年商を維持しているケース。が、いまが良いところであろう。問題なのは本人に自分の器や能力と現状との比較が出来ていないので、防御能力がまるでない。その必要が在るとも思っていない。「この辺に面白いことがありそうだ。画期的なことがありそうだ」という論理は的を射ているが、その具体策は本当にゼロ。
 だからって具体的な話になると、ビジョンとは関係なく、とりあえず事業単位で黒字ならそれで良いやという話になる。
 引退思想はあるが、引退の具体的な姿には想像力がない。あいまいなまま。なぜなら今の仕事が誰に引き継がれてもずっと稼げるはずだと思っているから。そのリスクヘッジのために引退思想にいたるのだという理解力がない。60歳ぐらいの製造業の親父が30歳の頃に考えていたことと全く同じ。うまくいっても、おそらくせいぜい同じ道を歩むだろう。
 逆に、今の基幹事業だけで引退を実現するためには経営規模を大きくする必要があるが、そうすると仕事が増えるのでやりたくない。じゃぁ中間管理職をと考えるが、雇用にもビジョンがない上、器がそれほどではないので、優秀な中間管理職を確保できる可能性はないし、確保するのがどれほど難しいかという自覚もない。ならば「荒利率を確保して、小さくても稼げる会社を(僕がこれです)」という方向性との天秤にかかる判断をしているという自覚もない。
 上場を基本的に志向しないといいつつ、ニッチで稼げるようになったらそれがパワープレイになっていくという自覚がない。結局は甘いところで適当な甘い汁を吸っているに過ぎない。

 現状認識、具体的解決案、ビジョン、すべての背景に在る論理に全く整合性がない。整合性だけであればまだしも、その不整合を補うだけの迫力と個性に欠ける。まぁ、今が良いところだろう。ただ、聞いていたよりも潰れる可能性は低そうだから、巻き込まれる人の数が多くなるだろうし、時間によって悪化する諸事情をすべて包含してしまうだろう。