君が代がどうとか

 服務規程が明記されている公務員が国旗と国歌で争うのは醜いと思うので、個人的には却下。服務規程が不満なら仕事をやめれば良いだけのこと。前にも書いたけれど、朝礼に出て企業理念斉唱を拒否して裁判やるか?

 ただし、生徒に国歌と国旗を強制するのには問題を感じる。民主的手続きを経て決められた国歌と国旗ではないから。民主的手続きを経ていれば否定された時代もあったはずだから。国号を含めてそういうことがうやむやに流されていることは、日本人が民衆革命を経た民主主義を実践していないことの証左でしかない。まぁ、僕はみなさんが肯定する民主主義に賛成しているわけでもないし、制限選挙も問題とはしないぐらいだけれど、民主主義を標榜するのならそれだけの手続きを経ていても良いだろうと思う。右でも左でも良いので、もっとちゃんとした体系にしようよと思う。

 「あれは国歌なのだから」というのは思考停止だよね。「僕は親だから、心配なのは当たり前」というのも「僕は被害者だから、彼のほうが悪い」とか。まぁ似てる。テロに関する思考停止も全く同じ構造でしかない。

 あとさぁ、愛せる日本を作るための努力を怠りすぎ。ここに生まれて日本にに社会参加してるってだけで、国と社会を愛せるか?まぁ、僕は世界を愛するけどね。それだけの非論理的理由から国と社会を愛せるというのは、特定の理由から国家と国旗を愛せない(国と社会を愛せても)というのに比べると、なんかだいぶ不自然感じはする。気持ちの問題だからしょうがないけどね。

 論理的に考えて、国と社会を愛しているのと、国歌と国旗がリンクしていない可能性なんて良くあるんじゃない?キューバを愛していても、カストロやその軍隊、彼が決めた国歌と国旗が嫌いな可能性があるのと一緒。

 ついでに言えば、デンマークなんてもっと税金を高くして欲しい人が30%もいるんだって。そりゃ、富の再配分がちゃんと行われていれば、低所得者ほど増税を望むに決まってる。

 どのぐらい民主的な運営から外れているのか、もっと自覚したほうが良い。

 国旗も国歌も10年に1回、投票で決めれば良い。おそらく、多くの国では同じ国歌と国旗が選ばれ続けるだろう。それが選ばれ続けないとすれば、そうさせている占領政策があるのかとか、国民にとって親近感よりは嫌悪感を連想させるなにかが潜んでいるかとか、まぁそういうものだろう。国歌と国旗の選びなおしを目指さない人は民主主義を標榜するのをやめたほうが良い。まぁなんどもいうように、僕は全体の整合性を最重要視するので、この国の場合は「民主主義と平等主義をやめたら整合性が出てくるのに」と思う。この国においては、そんなの幻想でしょ?

 国旗と国歌を愛せないのは悲しいことだが、本当に愛せないものを頂くように強制される人生はもっと悲しい。