いじめのことが方々で

 方々でいじめのことを書いてあるエントリが増えているようなので、自分のことを少し。
 何度も書いているけれど、僕はいじめられたことがすぐに生存競争になっちゃって、本気で殺すつもりでむちゃくちゃしたので、その後はすぐにいじめられなくなりました。いくつか書いてあるので「自殺する前に相手を殺す」とかいうのがあるけれど(もんかしょうへの手紙もこういうのだったっけ?)、自殺する前って言うのは、今すぐでも自殺の直前でも自殺の前なんだから、いつでも2階のまどから(階段でも良い)突き落とせば良いと思うんだが、なんで自分が自殺する直前まで待つんだろうと不思議だ。
 君が死ぬか相手が死ぬかという二択の状況の場合、特に君が未成年であれば相手を殺すことは十分に認められるし、いじめっ子はいずれ大人になってからでも人をいじめるであろうし、君がいなくなっても誰かをいじめるであろうから、公共の福祉のために殺すのが良かろう。僕はそう思っていじめっこを追いつめたし、けがもさせたし、半殺しにしてしまったようにおもう。というかどうにもよく覚えていない。はっきりしているのは、親の耳にはいるほどの状況にならなかったということだけだ。親は未だに僕のあやふやな記憶を信じたがらない。でも、突き落としたことが2階ぐらいあったと思うんだよねぇ。大怪我してたように思う。でも、大人は優等生といじめっ子のいうことなら、優等生の言うことを信じるんだよねぇ。まぁこっちとしては生存競争なんだから罪悪感なかったけどね。
 本気で相手を殺そうとしていることがわかれば、僕の時代にはいじめられなくなった。まぁ、話を聞いていると今は本当に殺してしまわないと返り討ちにされるだろう。それだけ時代が殺伐としているってことだ。僕が現状を知っていて、今現在子供でいじめられていたとしたら、仕返しが怖いのでとどめを刺すまでやめないと思う。階段から突き落とすのでは危ない。確実に頭から落とさなければならなくなる。
 結局、現代社会においても弱い者が追いつめられる。だとすれば、いじめっ子を殺してでも生き残る人間が、自分の生きたいように生きられる世の中であるには間違いないだろう。
 国家間の争いがすべての犯罪を正当化するのと同じで、生存の危機は(少なくとも子供であれば)大概の犯罪を容認させるように思う。いじめに対して全く無策な現状の中で、自分の子供には(もちろん、誰かに助けを求めるというまっとうな手続きはあるのであるが)おとなしく自殺してしまうような弱さと慎み深さよりは、相手を徹底的に追い込んででもいじめの被害者に終わらないような強さを僕は望む。
 まぁ、そういうことだ。
 「戦え。殺される前に。ただし、大人になるまでには戦わずして勝つ要領を覚えろ。本当に悪い奴らの手法を知り、防御とせよ。無責任で被害者になりやすい大人を真似るな。君は生き残って幸せになるために生まれてきたのだから、そのために全力を尽くせ。」

追記
 http://d.hatena.ne.jp/tomonya/20070425
 にて、続きを書いてみました。