なんか疲れてるな

 時事問題ではメール交換に熱が入りすぎてしまった。
 今の日本が「豊かだから植民地でもそれで良いじゃないか。だいたい植民地に見えないよ」というのは、「チベットは占領されて良かったじゃないか」とか「キューバは革命なんてしない方が良かったじゃないか」というのと全く同じことで、普通に世界標準の知識人からは馬鹿にされるだろう。少なくともチベットの人がそんなことを言ったら、申し訳ないが俺は馬鹿にする。それは知的発言ではない。
 維新開国から終戦までの数十年間で何を得ようとして、何を得て、何を失ったのかがわからない、ただ歴史がそこにあるだけなのは、現近代史の本質をほとんど教えない日本の歴史教育が崩壊しているからだし、そういう人が増えれば増えるほど占領は深化されていくのだろう。
 そういう世界標準的蒙昧(占領の精神的浸食)に比べれば、はたんを予期できないことなど情報収集分析能力の技術的側面にすぎない。植民地に於いてはしばしば愛民族心と愛国心が背反する様に見えることもある。
 フランスでも、金を持っているだけでは一等列車には乗らないのだそうだ。金とは関係なく矜持が維持されているのだそうだ。上部構造さえ維持できていれば、上部構造内部での意見交換や情報交換があるのだが、NGO界隈ではあまりにも日常的に植民地であることを前提にした会話が成立するものだから、一般に散らばっている知識人の常識的認識力を見誤っていた部分はあった。ここが植民地であることを忘れていたのだ。
 人は人で磨かれる。同レベルの知性が触れ合わないようにするための漢字の簡略化であることを忘れていた。昭和23年のことである。あれは知識人文化の破壊が目的であったし、事実そうなった。
 その上、通常時から戦時下のように情報が制限されているこの国で、権力者はネット時代であったとしても情報戦を周到に継続しているという認識も不足していた。なにせ金やこうけんりょくまで使っているのだ。その意味では象と鼠の戦いに等しい。僕だって検索されないようにこうしてひらがなで書かなければならないし、そうしている。
 僕の声はもうすぐ大きくなる。そのときに公の発言では180度の変節がなされる可能性があることと、こうした過去のブログも消す可能性があることをみなさまにはご了解いただきたい。そのときには、そのことこそが危険の信号であることをご理解いただければ幸いです。僕は家族を守るので精一杯です。独立戦争などやりません。