周囲では

 「日本がアメリカの植民地であるかどうか」なんて議論は存在しないんだけどねぇ。白人と話してたってそんな議論にはならない。「イギリスの植民地ではクリケットアメリカの植民地ではベースボールが主流だ」っつーぐらい。日本にあるほとんどの政治的問題は植民地に始まり植民地に収束する。これまた、議論の余地がないんだよなぁ。議論の余地がないことが、議論を伴ってすら理解されないセグメントが存在する事実。あー、俺もそんな占領してみたいよ。「人を馬鹿にする」のではなく「人が馬鹿になる占領」。素晴らしい。
 ただ、エリートは国内でそれを行わなければならないんだよねぇ。それはネオ・シュトラウス学派。それを私が信じている必要はないが、人に信じさせることに意味がある。考えてみると、破れないと言っている人を量産している技術はそのものだよね。問題はシュトラウスが言っていたような「国を強くする嘘」ではなく、「国を弱くする嘘」であるという点。だからつまり、「Aに始まりAに終わる」のさ。
 あーそうだ。もし嘘でも「破れ予測」の流布は国と国民を強くする。考える能力を養うからね。そそ、そういう意味でも国粋論者は破れで煽るべきなのよ。そうかぁ、仮に僕が破れを信じていなくても、破れを説くことはシュトラウス学派にかなうのね。別に地震原発宗主国チェンジとで十分だけどね。つごう、四つの煽りがあるわけか。なんでこんなにこの国が弱いママなのか、信じられなくなってきた・・・。