僕と同じことを言っている人がいた

 http://d.hatena.ne.jp/himazublog/20070408/1175994799
 パレートの法則なのである。
 で、概算してみると、特別なこと(雑誌の締め切りとか、掲載にあわせての新商品開発とか)がないかぎり、僕の労働時間は週平均でたぶん10〜15時間ぐらいかな。特別なことがある時期でも、週に50時間を超えることはなさそうな気がする。まぁ、そんなもんだろう。時給は・・・、まぁ秘密としておこう。月商と荒利を知っている人はわかるはず。まともに8時間/働ければ、事業を売り払わなくても数年で引退できるはずだ。モット長時間の仕事をしたいと思うことはあるが、家庭事情で出来ないことも多い。詰めて仕事をするとその期間の後の精神状態に悪く影響するので、精神状態によって死に向かってしまう可能性を持つ僕は、ある意味、決死の覚悟が必要である。今となっては、家族の影響のためにこの可能性は以前よりずっと低いのであるが、それだけに家庭事情で働けないことの理由にもなっている。

 実際に仕事に向かっていないときにも仕事のことを考えていることはある。これを仕事時間と呼べるかどうかは自分でも良くわからない。結果的にすすみが悪いのは「集中していないと出来ないこと」ばかりであり、アイデアは非常に豊富で、やるべきことも常にまな板の上に並べられている。

 やるべきことのうち、事務的作業はほとんど放逐してしまっている。やった方が良いに違いないが、やらなくても商売が成り立っているから。こういう姿勢は5年10年の商売には著しく問題を生じるが、3年で抜ける場合、影響は限定的である。

 やるべきことのうち、仕上げを伴う創造的作業は個性の光る部分でもあり、やるしかないので遅ればせながらやるが、集中するまでの時間がその労働時間のほとんど(80%以上)である。つまり、普通の人が3時間でやることを、効率的に2時間で終わらせるような創造力があるし、人にまねしづらいものを創造するには創造するが、そのために8時間の助走時間を必要とする。悲しいことかもしれないが、特別な状況ではその80%をすっ飛ばせるので普通の人と同じになる。ただ、前述したように精神状況への影響は不確定である。