君が代の不起立

 何度も書いているけれど、見苦しい。教育の実践のためであれば退職しても出来るのであって、その生活保障、その権利、その給料で、その不平は見苦しい。組織とはどんな馬鹿な奴も、賢い奴も、同じ立場では等しく仕事をこなせるようになっているのであって、その仕事の内容を決めるのは選挙で選ばれた人ということになっている。
 その信念が正しいかどうかは別にして、民衆の総意を反映しているかどうか明らかでない作業を、公務員が行うのは問題アリ。規定がないのならまだしも、存在する規定に背いたとすれば、シビリアンコントロールに違反しているのと一緒。
 それを裁判で争うのは、やはり見苦しいと思う。本当に自分の信念に沿った教育を実践するのであれば公教育の現場でないのは明らかだし、その場所が制限されているわけでもない。なぜ両方を欲しがるのか、なぜそれを対等に扱うのか。
 実は僕は朝日が偏向しているとは思っていない(双方に確たる証拠や論拠がないことを争っているのに一方的に悪く言われることが多い。報道ミスや我田引水ならほかの報道機関もやまほどやっている。記者クラブ支配下のマスコミにそれだけ多くのものを期待するメンタリティーを理解できない)が、これを教師寄りで報道するマスコミは偏向していると思う。法的に異常。