なぜ政治的言説をも科学で斬る必要があるのか

 ニセ科学リストhttp://d.hatena.ne.jp/docseri/20071128/1196234450のところで、スタンスの違いとして最初は良くわからなかった上、その後、全然納得行かなくなったので、一応書いておく。
 自分が完全な非科学として「原発は安全である」「地球温暖化の主要因は人類排出の二酸化炭素である」というのを掲げたときに、「政治的言説ですからご考慮下さい」みたいに言われたのを受けて。
 良い悪いは別にして、現状の日本は民主主義の形態をとっており、民主主義とは「個々人の頭で考えたことを集大成する」ことになっている。この制度が正常に機能するためには、情報の公平な流布が重要である。間違った情報からは間違った判断しかできないから。
 だから、科学的に間違った政治的言説を科学で「間違ってますよ〜」と説明して、間違った情報を修正することは、個人的には絶対の社会正義だし、それを「政治的言説だから」という理由で科学者が触れないようにするのは、おそらく社会悪であろう。
 以前にも書いたことがあるけれど、科学者が嘘をつくとき、その原因は「科学的考察能力が低い」「科学的考察能力は低くないが情報が間違っている」「科学的に間違っていることを知っているが、わざと嘘をついている」などになり、このうち二つでその科学者は「能力か倫理観のどちらかが不足している」ことになる。
 まぁ、僕が納得行かなかったブログ主は、消極的にであれ「倫理観の不足には目をつぶろう」と表現しているように見えた。それは、おかしいと思う。

 好意的に解釈すれば「愚民思想に基づく政治的行動として、政治的言説を科学で評価しない」ということになるのだろう。僕とは主義が違うが「現状で流布されている科学的誤情報の総体が愚民を良好に扇動するのに役立っているのだからそれを荒立てるのは良くない」という発想を完全否定できるほど僕は民主主義を信じていない。
 問題は、それがどの立場に立って良好に扇動しているかのポジションが明かされないことぐらいか。


追加
 関連エントリ内、911陰謀論を「科学ではなく常識的判断」で斬って捨てるあたり、「ネオ・シュトラウス学派がどういう思想をしているか」とか、「イラク原油原価が1バレルあたり2ドル程度である」ことなどを考慮すれば、費用対効果としても早々に斬って捨てられるほどの陰謀論でもないのだけれど(これだけで肯定できるはずもないが)、そこいらも気にはなる。そもそも、イラク戦争をしたことによる利益は当初から常識的には全く不可解だ。

科学と常識は全く別軸だから、常識で判断するのは科学を重んじる立場ではない。

 たぶんに常識的判断をするのであれば、「アルカイダ」という組織が存在しないというのは2006年のBBCドキュメンタリー大賞を取っていてそれなりに本当らしいのでは?
 さらに余談。僕がこの件で一番欲しい情報は「死んだ人の民族比率」なんだが、出てこないね。ニューヨーク市人口の12%はユダヤ人であり、しかもあのビルの中の比率は少なくともこれ以上のはず(そりゃ調査すればモット正確な数値は出るだろう)だけれど、「2週間ぐらい前からユダヤ社会では911に出社するなという噂があった」という言説の真偽を確認する唯一の方法だから。もし、5%だったりしたら、これは相当の意味合いを持つはず。

 追記も参照