自分を変える?人を変える?

http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080703/hint
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51075193.html
http://d2.hatena.ne.jp/yousanotu2/20080704/1215171795
など。

そもそも
「世の中や状況を変えるよりも、自分が変わる方が簡単」という大原則をみなさん忘れているように思う。

だから、その意味では
「自分も変えられない人に言われて変わるほど人はお人好しじゃない」というのは当たり前だし、
「自分を変えたぐらいで状況を変えられるという信仰そのものがナンセンス」と言えよう。

「そういう寝言は世の中や状況を変えてから言え」

で、変える変えると一口に言うが、世の中を変えるとは結局のところ「啓蒙」でしかない。
それは「わかっている私がわかっていないあなたを変えてあげるのよ」という
極めてお節介でやっかいで勧善懲悪的な動作でもある。

まぁ、「わかっている私」が科学的言説以外では明確に存在しない事を含めて、
そうした自我そのものが危険であるとも言えるだろう。

じゃぁなにか?
「90年代中盤に、ディーゼルエンジンが環境エンジンであることがわかっている(欧州で定説であったし、現在に至るもハイブリッド車ディーゼル車の大幅な燃料効率差は明らかでない)賢いワタクシが、そんな論争が存在しないようなレベルのことも知らない愚民どもに教えてやろう」というぐらいの作業が危険でないと誰に言えるだろう。

似たような例は他にもある。
「なぜ日本の焼却炉は小さいのか?」
国民年金の満額支給額は5万円にみたない」
とかね。

人を変えるずっと手前、真実の流布だけでもかなりお節介なのだよ。
つまり、その先「人を変えようとする」作業を強く志向する人間は、そもそも集団にとって迷惑でしかない。
それが正しいかどうか以前の問題。