個性礼賛の方向性の誤り

『使えない個性は、要らない個性。』
 http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090226/p1

というのが話題になっているらしいが、そうじゃないだろ。

実態は
 『経済効果に使えない個性は、要らない個性。』
といっているのでしょ。

 その価値観そのものは薄いよ。おそらくこのような個性礼賛は、本来エリック・バーンが西海岸で起こしたようなヒューマンポテンシャルムーブメント(HPM?)を基調としていると思われるが、そのなかに「経済的に」なんて考え方は存在していない。「個性を個性として受け入れたとき、経済的であろうとなんであろうと、個性の存在は素晴らしい」的なニュアンスであったはず。

 それが「現代社会のしかも経済的要求に使えなかったからといって、個性そのものの価値を否定しない」というのが本当の個性礼賛ではないかい?別にそれが良いか悪いかという話ではなく解釈の問題で。

 ただ、経済的にこだわらない範囲で現実としては、たとえばブス専とか、デブ専とかそういうレベルで、様々な棲み分けが働くことはみんなにとって良いことなんじゃないかと思うがどうか。

 って、こんな僻地には誰もこねー。

 しかも僕の個性は「社会的に比較的恵まれやすい個性」だったわけで、説得力もない。