三週目−3

昨日の取材が思っていたほどの成果をあげていなかったことがわかった。

午前中は、初めて鬱になってしまった。
なんとか午後3時頃には自力で回復する。

仕事の内容と、その期限と、二つの要素に追いまくられるので非常につらい。
仕事のスピードは自分で志向する傾向が強いので、次回、ざっくばらんに話せる時間をもてたときには、仕事のハードルを高くするだけにして欲しいと進言しようと思う。

本当に新人をいっつもこんな追い込み方をしてるのかどうか、疑問だ。

シミュレーションが悪いなどと言葉では言うが、そのシミュレーションをできるだけの事前情報が僕の手元にない。それがあれば仕事はストレートであるので、器用貧乏とも言われたことのある僕としては、それなりにこなしてしまえるのではないかと思う。しかし、ほとんどの問題がなんの事前説明もなく投入された仕事の後半で生じているのでどうしょうもないし、その回復には多大な労力を要する。

「あんたが有能なのはわかったから、俺と一緒にしないでくれ」というのは、昔誰かに言われたことがあったのを思い出す。次元はだいぶ違うけどね。



夕方、新入社員、新入アルバイトの面接。15日の夕方に僕も面接作業を任されつつあったので見学してみた。

やっぱり、面接ってこんな風に受け答えしないといけないんだろうなぁと、改めて感心する。同時に自分が落ちまくった理由の一端を垣間見る。
しかし、弊社ではそういうフツーの人は採らないのよ。コマとして動ける人は必要ないらしい。僕よりは多くの場所で就職できる可能性があるだろうから、そっちで花開いていって下さい。

確かに、今日の面接の雰囲気では「人生計画とかありますか?」と聞かれて、「40歳引退を目指しています」とは答えきれんね。社長が一対一でベラベラしゃべっていたからああ言ったまでであって、それなりの場読みが自分にもあったことに感動した。

とまぁ、この面接を見て、自分がいかにほかの会社では生きていけないかを実感し、「やっぱり辞めてはイカン」と強く自覚した。まー、相場技術は一通りになったと思われるから、資本金が入ったら考えるかもしれないけどね。



そのあと、採用界隈の話で盛り上がったが、僕の添付した志望動機は社員のほとんどに「過激派か?」と思わせて十分だったらしい。にしてはよく面接してみたもんだ。会ってみての感触はまるで違ったようだけどね。

ここにその文章をそのまま載せてみる。
自分の文章は著作権を考えなくて良いので良いね。

しかし、そんなに過激かねぇ。
採用条件すら満たしていない状況での捨て身の一発だったわけだけど、それだけ強烈な印象を与え得たという意味では成功の部類なのかもしれんね。

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 自分は小さい頃から科学者の父の影響を強く受け、科学的思考の大切さとその手法を身につけて参りました。昨今、氾濫するエコロジー関係の商品の疑似科学的な能書きに対しても、常々、3000例以上の根拠が欲しいと思うことしきりです。そのほか「企画新築住宅の耐久性(欧米比較)からみたコストパフォーマンスの考え方」や、「車両の購買・維持における費用対効果の考え方とその有効な方法」、「『**がないことの証明』は基本的に不可能である」ことなど、主に大衆の消費行動と情報の収集・評価行動に光を当てたコラムなどを二年ほど前から書いております。

 結果、それらの活動と市民活動に対する関わりを通して「科学的思考に慣れていない人にとって、それは極めて身に付きにくい技能であり、同時に有効な戦略立案には必要不可欠である」ことを痛感してきました。最近は裁定売買の研究をし一定の成果もあげておりますが、極めて投機的に金銭と人との関わりがある相場に於いてさえ、世界的には多数派である裁定売買の有効性を認める日本人は少数派であるというのも驚きでした。

 同時に、企画屋・起業者としての自らを振り返るとき、極めて新奇性のある起業企画の着想・立案力と、その土台になる一般情報収集能力はあるものの、科学的評価に耐えるデータの収集リサーチ能力はほとんど持っていないこともたびたび痛感して参りました。それらの起業企画がパートナーを得て起業資金をそろえるだけという状態に度々至りながらも、資本金集めに踏み切れなかったのはこのためで、常々、そうした能力を身につけたいと思って参りました。

 他方、福岡県中小企業者同友会では、中小企業のための経営学に触れ、その心理部分のマネジメントのおもしろさと実効性にも強い興味を持ちましたが、ここでも評価に耐え得るリサーチ情報の大切さを痛感しました。

 選挙への立候補を勧められたことも数度あり、その選挙対策もある程度は勉強させていただきましたが、それらの手法の先進地であるアメリカの「情報が人間行動に与える影響の研究」や、それをベースにした「運動戦略立案」「演説の組立方」というものがない中での選挙戦には大きな不安がつきまとうかに見えました。

 もちろん、極めて情緒的で情熱的であるはずの理念や目標設定にまでリサーチが入り込む余地はないわけですが、アメリカのドラマなどでは演説の文言のひとつひとつにまでプラスマイナスのイメージが求められているのを見ていても、今後の日本では、政治・商業・NPOセクタに至るまで、きめ細かいリサーチと手法が問われ、その有効性が認識され、広く利用されるはずであると信じて疑いません。

 経歴を見てのとおり、これまでは迷走してきた自分の人生ですが、迷走したからこそ出来た経験と普通の方とは違う着想力をベースに、これまでの人生では活かしにくかった学習力、修得力、成長力を御社で試してみたいと思います。

 よろしくお願い申し上げます。