一ヶ月かぁ

もう一ヶ月も書いてないのかと、びっくりした。

仕事は、その後もたびたび大失敗をしてつらいめにあったが、にしても、怒鳴られるわけでもなく、なんとか安穏とサラリーマン生活を過ごしている。もっとも、この状態に社長が成長したのは最近のことのようであり、昨年の12月上旬に就職した総務の女性(彼女についてはいずれ記述する機会もあるだろう)でも、「最初の頃とは全然違う」と表現している。

まー、ぴりぴりした状態であったなら既に僕は退職しているであろうから、周囲の人の「彼が就職してるなんて・・・」という驚きは、「彼が結婚できたなんて・・・」という驚愕と同程度に無意味であると断っておこう。


今夜は1年11ヶ月勤めた女性が寿退社した。
これはこの会社始まって以来のことであるらしく、円満に社員がやめたのは本当に初めてだとのことだ。

同時に今夜、この会社に6年間も勤め続けた人に会ったが、彼がやめてなお、社長がショックを受けないとすれば、それはそれで社長としてではなく、人間として限界なのだと思えるほど、素晴らしい人であった。僕的には、彼が既にやめた後の会社に勤務していることがショックだった。



この会社を辞める理由は、家族の反対以外に求められない。
どう失敗をしようとも、少々帰りが遅くなろうとも、自分からこの会社を辞める理由は見つからないというのが実状だ。独身なら家には戻っていないだろう。

それほど、僕にとっては有意義な仕事を任されているし、適性のある仕事に配置されていると思う。入社6週間の人間にある程度の仕事を任せようと言う根性も凄まじいと思うが、嬉しいんだからしょうがないじゃないか。

ただ、社長が言っていた「自分のためには努力できないが、人のためになら努力できる」という意味合いからは、僕は今の仕事に関して、自分のためにしか努力できない。しかも、家に戻らなければならないという点に於いて、かなりのリミッターをかけられていると言える。



あと、大概サラリーマン的になってきた僕だが、原価計算がどうしても忘れられない。なんでこんなに仕事が出来ない人間に給料を払っているのかと思うと、自分の給料がつらい。時給650円からはじめて、ゆっくりと仕事に応じて給料が伸びていくのが望ましいように思えてならない。それが、人としての誠実さであるように感じている。

先週からついに数量化Ⅰ類の勉強に入った。仕事中には勉強できないから、時間的にも牛歩の歩みではあるが、とりあえず楽しい。裁定売買での統計用語がひとつひとつ明らかにされていくの楽しい。



さて、こう言いつつ、裁定売買で生活できるだけのお金が貯まったら(借りられたら)いつでもやめる気になっている僕ではあるが、それはいつのことになるのでありましょう・・・。