みたびニートのこと(更新失敗)

 トラックバックがついたー。行ったらリンクも貼ってあるー。うれしー。で、僕も返してみようかなと。プロフを見ると、かつてきっちりリーマンとして労働されていた分、僕よりは立派だけれども、境遇はどこかしら似ているようにも思います。

 で、「負け組が果たしてセーフティーネットのお世話になる境遇に耐えられるのか」という話なんですが、耐えられないのなら「もっかい頑張っちゃう(就職だけが金稼ぐ方法でもありませんし)」んだと思います。で、頑張る気力がなければ甘んじるでしょうし、頑張っても芽が出ない場合は、やっぱり甘んじるんでしょう。そして精神的にどちらにも耐えられなければ、死んじゃうんでしょう。要するに(名刺なら印刷すれば実体とは関係なく作れるし)プライドをこれまでの世代と同じ部分で満たさなければそれですみます。

 こんなことは別に負け組に限らないんですよね。勝ち組にも等しく起こり得ます。ひとりひとりの中にはそれぞれの天秤があって、ゴミあさりをしてでも生きていたい人とか、そんなことするぐらいなら死んでしまった方がいい人とか、定職を首になったことだけで本当に死んでしまう人もいれば、旦那が浮気して子供作ったから死んでしまいたくなるひともいるでしょう。いつも食べているキャビアが食べられなくなったことで死を考える勝ち組もいるかもしれない。

 僕にとって希望格差社会という概念に違和感があるのは、「みんなが希望を持つ状況」というのをかなり画一的に規定していることでした。でもたぶん、希望を持てる状況も、死にたくなる状況も、耐え難いと感じる状況も、かなり個人差があると思うんです。

 先日の日記では「僕は親元ではニートになれなかった」とか書いてましたが、よく考えてみたら、結婚後に僕はニートらしき生活をしました。つまり出会ったときも結婚したときも子供が出来たときも、ずーっとプーでした。ちなみに僕は、家事もそれほどしてません。かみさんは結婚後一日も働いていません。かみさんの結婚前の貯金を食いつぶしながら数年間の極貧を暮らしていました。この意味では、変に過去の慣習に囚われずに自分の将来像を自由に想像することが大切だと思うんですよ。この部分は確かに希望格差だと思います。言い換えるなら想像力格差でしょうか。

 田嶋陽子は女性は社会システムの被害者だと言ったと思いますが、男性もまた同じですよ。同レベルで同じ。ただセンセイは外で差別されている女性が目に付いただけ。家庭内で汚いモノのように差別され続ける熟年男性だってたくさんいるじゃないですか。家事をするのと、外で働くのと、どちらがより向いているかなんてのは性別ではなく性格に依存するはずですし、家庭内のことなんだから夫婦で納得してそれぞれの役割分担をすればいいだけの話なんだし、出会ってもいない人との役割分担を決めつけて考えるのは幸福総量を追求する総和快楽主義(c)の立場から見ても、得策ではないように思います。

 

補足ーーー自分自身、苦しい思いをし続けるよりは自殺しちまえ願望ってありましたね。ドラマERでも、自殺未遂者を助けるところが出てきますが、社会が豊かだから助けるんだと思うんですよ。死にたいんだから、死なせてあげればいいと思います。僕は自殺未遂状態で助けて欲しくないです。ただ心配なのは自分が殺されつつある状態で第三者が駆けつけたときに「自殺未遂なんで放置してやって下さい」と殺人者に言われてしまうことかな。心配しすぎか。ま、何事にも認識不良はありますんで。

 ただし、生活保護をもらう方法とかにしても、未熟でした。情報が少なかったので。僕は確かに精神的問題から普通には働けなかったし、今もそうだと思いますが、現実的にはそこから起因する経済的困窮以外では死のうと思わなかった人なので(当時は精神的問題が原因だと思っていたが、じわじわと飢え死にしたくなかったかららしい)、今と同じぐらいのセーフティーネットに関する知識があったなら、自殺は考えなかったです。間違いないです。

 また、結婚後、生活保護に頼っていたとしても生活が今後も成り立つ可能性が十分にあったのならば、僕は自分で稼ごうなんて思わなかったかもしれませんね。飢え死にしないのなら、別にリスクを背負って金稼ぐ必要なんてないやって感じで。そうした方法にその当時出会わなかったのも運だなとは思います。

 それを堕落というのか、しぶとく生きるというのか、なかなか難しいところですが、まぁ、気持ちよけりゃそれで良いってことなので、僕の天秤ではそんなに悪い部類に入らないんではないかと思います。

 毎度まとまりがないけれど、今夜もこの辺で。