結局、謝罪問題を終わりにできなかったことが国益を損ねた

tomonya2005-04-18

 結局、右翼が「沽券レベルの国益」を優先したために、60年後の今も謝罪問題がくすぶることになってしまった。

 謝ることは謝って、謝り殺して(ほめ殺しの反対)、その問題に触れさせないようにするのが肝要だったのではないかと、現状を見ていて思う。駆け引きとしての無謝罪ならともかく、英霊のことと、歴史認識のこと、天皇の戦争責任のこと、植民地経営の失敗に関することなど、主に国内での認識の問題をぜーんぶ一緒くたに論じて、中年男みたいにぐだぐだと謝罪を伸ばしのばしにしてきた結果がこれなんじゃないかい?

 そりゃ、一緒くたに論じてるんだから、内政干渉的発言だって許してしまうさ。

 そうした大局観におけるアジアとの駆け引きをしているかのようにみせかけ、国益という定義もはっきりしない概念を振り回しまくった挙げ句がこれかい。

 教科書だって駆け引きの道具として先方の教科書に意見すれば良かったのさ。合祀問題も日本としての歴史認識を流布して、「フリスコ平和条約なにするものぞ」で良かったのさ。この10年間であれば。なんのための日米同盟だったのさ。あー、今となっては謝ることはもうできないよ。しかし、ここまで問題を顕在化させた責任は左右の両方にあるだろうねぇ。

 何度も言うように、歴史認識は生きている者のためにあるのであって、国益に従って解釈などどうにでも変えればよろしかろう。真実の理解など願望に基づくものに過ぎない。