超・学歴社会

 まぁアレだ、だいたいのところは予想通り。MARCH大の評価がずいぶん高いことには驚いた。集団の中での所属階層が大切という見方をすれば、旧帝大のほうが圧倒的に意味がある学歴に見えるんだが、同程度にしか評価されていない。大変驚いた。

 で、途中まで読んだ結論としては、勝ち組に回る気であれば、文Ⅲであっても東大であることには大きな意味があるということだ。裏を返せば、学校の名前に意味があるのはMARCH大卒までであって、大卒という資格そのものは、放送大学やその他通信制などでさしたる時間的拘束も出費もなく取得できる(大学中退ならなおさら)ことを考えると、それ以下の大学に大汗かいていくことの意味は、友達や生活、経験などのソフト部分を取得しに行くという以外はありえないということだ。そのために学費だけで年間100万円以上、親から離れての生活費を併せると年間280万円になるとすれば、四年間で1000万円超。

 今月の会報にでも載せるか。

 理系の免許取得関連(医歯薬獣医建築など)であれば事情はかなり違ってくるであろうし、その方面の追求は世間の目が向いていないことから、免許によるアドバンテージに比べると、入学のハードルは低いと言えるけれど、生涯収入は文系のほうがはるかに高いため、これはこれで一面のマイナスを背負っている。

 で、そもそもこの本は企業社会の中での出世や就職を扱った本であるので、就職できたとしても勝ち組に回れないほとんどの人たち(課長まで出世できないのは90%以上だろう)は起業したほうがずっといい人生がおくれますよというふうに僕は読んでしまったんだなぁこれが。

 四年間での1000万円の出費を抑えて、起業資金につかったら300万円で三回分あるじゃんか。高卒就職して職能を磨きながら1000万円をグローバルに年利10%で利殖しておけば、25歳までに2000万円ぐらいにはなるから、もう15年、そのまま働き続けて6000万円以上の資金を得て、40歳で引退するのも手だね。

 公務員なら資格給だから、お勉強が得意な人は大学受験をやらずに公務員試験だけをやったほうがいいんじゃないかな。放送大学も大卒と認められるので、就職した後に大卒を取る意味も十分にあるし。

 学歴がそれだけの障壁になるとすれば、結局これは受験結果が人生に影響を及ぼすということであり、人生全体のマネジメントとしては「努力よりも立ち回りのほうが圧倒的に重要」という結論を強化するに過ぎない。

 逆に、立ち回りがいい人は、東大にいけなかった時点でその事実に拘泥せずに別の道を模索するんだと思うんだよね。現実の研究は、立ち回りに影響を与え、それが人生全体の「努力→結果」のパフォーマンスに埋め合わせ得ない差を生じる。ま、この原則は強化されていくでしょうなぁ。