ニートに関する返礼

http://d.hatena.ne.jp/demian/20050625/p1へのお返事。
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ニートが「ギャップを前に当惑し、立ちすくんでしまった人たち」としても、社会変革の鍵を握っていると、僕とか、一緒にやってる経営コンサルタントの会計士とかは考えています。前のに書いたように、形はどうあれ、仕事の費用対効果を厳しく査定し、現状の社会に立ち向かう人であることは間違いないので。
 立ちすくまずにすむ方法は、起業がいちばん全うだとも考えています。だいたい雇用してもらえませんしね。100社起業して、数年で90社が潰れますけど、潰れたからって人の下で働く気も、機会もないのなら、やっぱりまた起業するしかない。「だから起業は自分が好きなことで」という鉄則もあるんですが、周囲の人はそれでも働けって言うんでしょうしね。

・怠ける人対策ですが、これは努力とかの問題ではなくて何を目指しているかという器レベルの話なので、施策としての意味は認めますが、集団の中でそういう人が出てくるのはしょうがないでしょう。僕に言わせれば制度に守られて働いているように見える人(公共工事受注者の多くや、道路公団関係者の多くなど)もみんな怠ける人なので、比べてみると税金の泥棒具合が少ない生活保護受給者だけが怠けている人には見えません。そういうレベルで怠ける人を特定しないと、うまく怠ける人は社会に認められるという歪んだ社会になる(すでになっている)と思います。

・景気については、管理できるような代物ではないし、お金がなければ幸福ではないと言う誤った価値観に洗脳されるのもどうかと思います。お金に遣われる、金持ちが馬鹿な金遣いとしているのと同列の論理だとも考えています。

 同時に、外資が悪者だというのも、メディアによる情報汚染だと思います。銀行だって、守らずに潰せばすんだものを、潰さずに処理したかったから巨額の税金が投入されたのは明らかで、資本主義原理で動いているものを資本主義に添わせなかったことの代償の結果であって、外資はそうした「守りたいものがある弱い者(日本政府)」の弱みにつけ込んだにすぎません。じゃぁ何でそうする必要があったかというと、銀行にみんなが預けているお金は国債を買うのに回っているからですね。今でも。

 取り付け騒ぎにならないまでも、海外の銀行に預けることが違法ではなくなっている現在、日本の銀行に唯々諾々と預け続けてもらわないと国債の調達手数料(利率)が高騰して国の財政が破綻するという結果を招くのが嫌だったからあれだけの税金が投入されているわけですよ。

 外資が得をしたのは明らかだけれど、得をさせざるを得ないこうした構造があったことは間違いないんではないかと。

金融市場を流れる数字だけの「マネー」をパンを買う「お金」に戻せない

のは、多くの人が自由とパンとを天秤に掛けて、パンを取っている(安月給でも退職して田舎で農業をやらずに働いている)からで、金融市場を流れるお金は自由を制限して得している人のものなので、パンを買うお金に替わる可能性はないでしょう。ここいらは、僕が「勝者の側の真似をする」といっていることにつながります。弱者として何をいっても、世の中を変える力にはならないので。せめて選挙ぐらいは行きましょうという話にはなるんですが、外資の話にしても、みんな本当のことを知らされてないもんなぁ。

・何度も言うように、グローバリゼーションが悪だとしても、それとの戦いはアメリカとの戦いであり、今の日本はアメリカの植民地なので、これだけのパンがある状態で仲間を募り勝つのは無理です。はっきり無理だと思います。赤軍は良くやりましたよ。アレが限界でしょう。
 試しにスローガンを掲げれば「ファーストフード不買運動」で良いんですよ。「コンビニ不買運動」でも良い。「パン不買」でも「トウモロコシ不買」でも良い。ね?無理でしょ?日本でも、民衆は自由よりパンを選んでるんです。生活に密着したこの程度の活動も、今の日本人には無理なんです。

・働くことに関しては、企業から評価されるのを待ってるのでは、おそらく世の中は変えられないし、自分を取り巻く環境も変化しないでしょう。テロ以外の手法でそうした社会を変えるのは、選挙への参加(正統な情報の流布)と命を懸けた起業などであり、選ぶ側に文句を言ってもたぶんしょうがないです。選ぶ側に自分が回らないと。そしてそれは、今の日本では結構機会保証が為されています。

 宮台なんてエリート中のエリートで、それで屈折してるならまだしも、感情的にも民衆よりは圧倒的に優位に立っていて、自分が徹底的に批判していた重鎮の東大教授の超美人の娘と再婚までして、収入的にも勝ち組の人間に、民衆に指示されるようなもの言いをさせたくないです。僕は。彼を嫌いかどうかではなくてね。業績も、考え方も、それなりに認めてますが、僕みたいに宗教から過激系からある程度渡り歩いて、流浪して、しかも勝ち組に回ってるくせに、物言いがうまいってだけで僕より支持されるってのが悲しいっす。やってらんねー。

・勝ち組負け組の話からすれば、歴史的に勝ち組は常に(別に日本でなくても)負け組を食い物にすることで成り立っているわけで、それがいくらかでも「平等」とか「再分配」とかいう概念が育った分、今の社会は文明社会だと思うわけです。
 多くの人の言説にあることですが、勝ち組を批判するのではなく、勝ち組に回るために何が必要かを考える方が圧倒的に建設的ですし現実的だと思います。搾取だけを行うために勝ち組に回るのでなければ、その理念がある人が勝ち組に回ることには社会的に意味がありますし、それは勝ち組の考え方を批判するよりはずっと世の中を変える力になりうるからです。
 負け組が公共心を持っているとは到底思えないですけどね。金が出来てから募金をする問い人は金が出来てからも募金しないんです。なぜなら彼にとって金が出来ることは絶対にないから。前にも書いたように、勝ち組も負け組も同じ試練にさらされてるんですよ。

・テロと現状追認が二項対立なわけではなく、三番目の「現状を容認しながら、そのなかで世の中を変える側に回る」という選択肢があり、その選択肢はまぎれもなく「勝ち組に回る」という作業です。そして僕はそれを志向しています。
 労働環境に関して言える明らかなオルタナティブは、とりあえず安月給で働かされることをやめることだとも思っています。農業従事者がいなくて困っている地域は沢山ありますし、坊さんだって、檀家が250とかある裕福な寺でも、なり手がなくて困ってるところは沢山ありますよ。最も、坊さんは消費社会の縮図でしょうけれど。

・現状は持続可能な社会でもないし、僕の判断ではこの社会が持続可能になる可能性はゼロです。破滅に向かって進むこの世界で、いかに幸福にこの時代を生きるのかが、現代人に等しく科せられた課題だと思います。生物の本質に帰る以外にこの課題に向き合うことは出来ないとも考えています。

・総じて、現状に不満を感じているのは、あなたが勝ち組でも負け組でも、他の誰でもなくあなたです。他人の感情を生きることは出来ないのですから。そして、その不満を解消すべく生きることは、やはり建設的だと思います。僕も病的である時期がありましたが、その時は病気と向き合うことが建設的なのだと思いました。
 過去と他人は変えられませんから、勝ち組の人間の行動や考え方を変えることは不可能です。良心的な勝ち組の人も、負け組の人に同じことを感じているでしょう。死を意識するとせざるとに関わらず、状況を変化させるのは、やはり自分でしかありません。負け組の人が負け組のままで世の中を変えたことはないのでしょうから。