昨日の補足

 負け組が公共心を持っているとは到底思えないですけどね。金が出来てから募金をするという人は金が出来てからも募金しないんです。なぜなら彼にとって金が出来ることは絶対にないから。前にも書いたように、勝ち組も負け組も同じ試練にさらされてるんですよ。

 わかりにくかったかなと思ったので。また、読み直してみると、コラムのほうではここいらの問題を中心に扱っていたのだけれど、このブログではそうでもなかったので。

 金が出来てから募金すると言っている人は、その所得に関係なく存在します。どんなに稼いでいても金が足らない人は足らないんです。いつも言ってる「この世の中の悩みの恐らく80%ぐらいはお金で解決できるけれども、残りの20%はお金では解決できない悩みである。その20%にお金をつぎ込むことは、お金に遣われることにほかならない。」という原理原則に基づいていたりします。

 募金する人は貧乏でも募金するんですよ。100円でも200円でもね。飢え死にするほどでない以上、その金遣いは優先性の問題でしかないし、財産家のほうが100円200円の支出にはずっとシビアだったりします。財産家になるのに先に必要なのは、こうしたシビアさなんです。

 だからって、節約も費用対効果で考えないと生活がギスギスしますけどね。それを決めるのは数字ではなくて心であり、心とは自分との向き合いなので、良い消費とは自分を知ることに他ならなかったりします。

 成金と金持ちの最もわかりやすい見分け方は「見栄に金を使うかどうか」です。きらびやかにして歩いている段階で(本当に光り物が好きならしょうがないけれど)、ほとんど成金だし。金持ちは貧乏人と呼ばれることに抵抗感を感じない(貧乏は状態を表す言葉なので)けれども、成金と呼ばれることには非常に大きな抵抗感を示します。成金は、品性を表す言葉なので。つまり、所得の多寡に関係なく、ほとんどの日本人は成金なわけです。

 見栄にお金を使うことは上記の「お金では解決できない悩み」をお金で解決しようとする消費の代表的なものであり、これを無意識にやる人が品格ある支出を行う可能性はあり得ません。