本当にテロの敵は民主主義なのだろうか

 テロが民主主義と相容れない数少ない政治活動であることは明らかだ。本当は全ての犯罪を容認する戦争も似た側面はあるけれど、一応、戦争は合法ということになってる。

 じゃぁ、テロリストが戦っていると思ってる相手は誰なんだろう。となると、民主主義ではなくてグローバリゼーションだろう。ただ、グローバリゼーションの勝ち組に回っている人たちが、民主主義という錦の御旗を掲げているために、民主主義も一緒に破壊する形になっているだけのように思う。

 このブログでは何度も書いていることだけれど、僕が考える民主主義の基本は「みんなが自分で考えた結果を全体の意志決定の基本にする」ということだ。で、人間は情報がないと考えられない上、情報こそが判断の基本になるので、情報のまんべんのない流布こそが民主主義を成立させる基本ということになる。

 グローバリゼーションに限らず、勝ち組は常に、こうした情報の格差や制限によって、場合によってはルールを自分に有利に作り上げることで、勝ち続けてきたわけだ。そして、それは今も続いている。

 多くの先進国向けのテロリストが壊そうとしているのは、そうした情報流通の仕組みと、ルールを有利に作り上げる人たちのルール体系なわけだから、前々から言っているように、この情報流通の仕組みとルールを変化させると、テロはなくなる。当然の帰結

 搾取によってしか成り立たない欧米諸国にとっては、この発想そのものがテロであるし、「テロの防止を北風ではなく太陽によって為す」というのは、全く思いもつかないことであろうが、これはかなり真実に近いと思うし、また、それほど奇特な発想でもない。僕はあまり勉強していないが、アンチグローバリゼーションという考え方は、テロリストの立場に立ってものを考えることに比べて遙かに多数の人が行っていることだ。

 また、実際のところ、サミット直前のロンドンでSASが警戒するテロ対策が奏功しなかったということは、北風系の対策ではテロは防げないということを如実に示した。北風によるテロ対策は歴史的に否定されたと僕は言い切る。


 問題なのは、こうした搾取被搾取の構造を、勝ち組の国の中にいる相対的に負け組の人たちが認識出来ないようにマネジメントされていることであり、金融資産など持っていない人たち、グローバリゼーションがなくなっても決定的な影響を受けない人たちが、テロが行われている構造を知らされていないことだ。

 情報の公平な流布こそが民主主義の基本であるし、その情報が操作されつつあるという現実は枚挙にいとまがない。民主主義を絶対正義とする向きは、民主主義のまっとうな運用を妨げるこのような現実を厳しく糾弾すべきであり、そうした情報操作を行った政権が生き残り続けるようでは民主主義が正常に機能していると言わせないようにしなければ光は見えてこないだろう。

 裏を返せば、テロリストに拍手を送ることを良しとせず、歪んだ民主主義とグローバリゼーション構造のこの世界で、我こそが勝ち組に回ろうとする者は、情報の歪みを見つけて情報を歪ませようとする者の意図をいち早く察知し、勝ち組と行動を共にするのが最も近道であるとも言える。

 世界を変えられないと知ることは、とても大切なことだ。それすらも知らずに非現実的な活動をだらだらと行う人は多い。そういう人がテロまで考えてから転向者としての平和な生活を送ることは人的資源の有効活用であると僕は思う。テロリストも一定レベル以上になると高機能だからね。

 この終わる世界の中で、自らの立ち位置を明確にして生きることは、とても大切なことだと思う。ゲームなんかしなくても冒険はいくらでもできるし、現代社会におけるその冒険は命の危険を伴うことも少ない。人生が冒険に似ているのではなく、冒険が人生に似ていることを多くの人は知るべきだろう。