はぁ?

 http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050926etc.html
 説明を意図的に端折って、ある方向に誘導しようとしてるのが気にくわない。仮にそれが啓蒙であることは認めても、

「生命は無生物から発生した」「人間の祖先はサルである」という唯物論的教育で「生命の根源に対する畏敬(いけい)の念」(昭和四十一年の中教審答申「期待される人間像」の文言)がはぐくまれるわけがありません。進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです。

 道徳教育方法と教育目的の戦略を確認せずに、このようにこの話題を語るのが啓蒙的なのか?学者であり、おそらく確信犯であるだけに(サンケイだし)むかつく。まぁ、俺もいずれはやるかもしれないけれど、人が僕と違った方向に持っていこうとしているとむかつく。

 煙に巻くのが啓蒙かい?
 この仮定から出発する結論はこれだろうけれど、別の仮定から出発する結論もあることを想像できなければ、この文章は有害だろう。ネオコンと一緒で語っている人がそれを信じている必要はないのか?