乳児用風呂おけ

tomonya2006-02-19

 家内が生まれたときに使っていた本物の乳児用の風呂桶も家内の実家にはあり、第一子の時はそれも使ったし、やはり道具は三世代使うというのが素晴らしいので消費姿勢としても良いと思う。しかし、実用的にはこの風呂桶も良い。商品名があったが忘れた。プラスチック製で、首がしっかりすわっていない乳児でも手を離して普通に入れることが出来る。これは既に生後10ヶ月の写真なので、首はすわっているはずだが、本人はなかなかご機嫌である。窮屈そうに見えるが、これがなかなか考えられた名品で子供には評判がいいのである。Pスリングと共にこの時代に至っての新しい子育ての知恵といえよう。

 一説によれば、胎内では羊水のプールに浸かっていて上下左右、自由自在に動いているそうだから、そうした時期の記憶と相まって落ち着くそうだ。そういえば先日、人間の祖先は水棲のサルではないかという話を読んだ。理由は「ほ乳類で体毛がここまで少ないのは水棲ほ乳類がほとんどだ」「進化の過程を示す遺骨がみつからない(こんなのはほかの生物でもそうで、これこそが突然変異こそが進化の引き金になるというネオダーウィニズムの論拠のひとつであったりもしたはず)」「生まれたばかりの嬰児の顔に水をつけると、なんとか反射とかいって呼吸数が減り心拍数も落ちるいわゆるリラックス状態になるが、こうした反応が見られる高等ほ乳類はクジラ、イルカだけである」というものだった。まぁ、話そのものは曖昧なんだけど、初めて知った話だったのでおもしろかった。

 それはともかく、実際にこのぐらいの月例の子供はお風呂が好きである。実際の陸上では立てないのが立てたりするし、動きもかなり自由になるし、そもそも水そのものがおもしろいらしい。

 で、この桶でこの笑顔。子供につきあうことそのものは子供が産まれてからずっとめんどくさいことこの上ないし、夕方にお風呂に入れるという生活スケジュールだって5年以上続けていても苦痛である。だから、こうした写真がかわいく見えるというのは、僕が家内なしに子育てをしてもそれなりには親をやるであろうというわずかな期待(僕が普通の親であるかもしれないという期待)を具現化していて、良いんである。要するに言いたいのは、普通の親ばかではなく、自分が普通であることを少しは確かめられる瞬間なのだ。

 逆に、多くの親が感じる、自分の親に自分の子供を良く評価されたいという希望はない。そんな希望を反映していたら、子供は確実に病気になるであろう。自分がされた教育を、無意識のうちに子供に施すという作業を避けて、全て意識下におくというのはなかなかの修行であります。

 結婚以前から、自分の子供を自分の親がかわいがっているのを見たら、自分がどんな苦しい気持ちになるかを想像するとやりきれない強烈な怒りがわいていくることばかりだった。まぁ実際にはそうならなかったし、仲は悪くないが、今は会うと心身症になることがわかり半年以上会っていない。それで会いたくなるほどでもない。家内や子供を会わせるのはなんでもないけどね。これが僕の中に最後に残ったビョーキのようだ。

 この桶、壁面には体重Xキロでいっぱいにするための目盛りというのが刻んである。容積としてはバケツ数杯分の大きさがあり、夏はベランダのプールに水をためるのに重宝した。4往復もすれば、かなりの量になるのであった。