妥協で結婚?

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 あんまりちゃんと読んでないけれど、くだらない話だな。AとBとで優先順位がはっきりしていなくて、両方欲しいのにどちらかをあきらめるから妥協になるんでしょ?「非自立的」という。そもそもね、優先順位が決められない人生で幸福を感じられる可能性はないよ。金があっても愛があっても、もっと欲しいものが出てくるし、人生の選択に後悔ばかりが生じるから。本当に本当に本当にゼロ。
 とはいえ、出口のありえないその業の中でうごめくのが普通の人生なのかもしれない。
 昔は、死ぬか生きるかの思いをすればそういう次元を抜けるのかと思っていたのだけれど、本当に死んでしまう人もたくさんいるし、意外に抜けないひとをたくさん見ているとそういう経験すら人生には大きな影響を与え得ないのではないかと思う。そもそも「死にそう」と言っている人のどのぐらいが当時の僕と同じぐらい死にそうなんだろうとすら思う。どこまで欲望を突き詰めてみても「死との天秤にかかるほどの枯渇感」を感じないんだよなぁ。それが「楽」への欲求であったとしても。
 言葉の上では「楽」を求めて、実際の行動は「苦」に向かう。それをみて僕は枯渇感を疑う。死に際していればそんな寄り道してると死に直結すると思うんだが、そんな不整合なことしていても意外にそういう人は死なないしなぁ。
 ともあれ、類は友を呼ぶから、つりあう相手と結婚できれば、一緒に妥協だとかなんだとか言いながら修行を重ねるのでしょう。仕事とかも似てるような気がするな。まぁ、僕みたいに妥協できないとそのまま死に直面するんだが・・・。