グッバイマイラブ

 いつも見ているわけではないが、今やってるドラマ「不信のとき」の挿入歌でやっぱり良いなぁと思ったので歌詞を調べてみる。

グッバイマイラブ この街角で
グッバイマイラブ 歩いてゆきましょう
あなたは右に私は左に
振り向いたら負けよ

忘れないわ あなたの声
優しい仕草 手のぬくもり
忘れないわ くちづけのとき
そうよ あなたの あなたの名前

グッバイマイラブ 二人の恋が
グッバイマイラブ 真実ならば
いつかは逢える これが本当の
さよならじゃないの

 ネット上では、総じてオリジナルの良さ台無しなんだそうである。アン・ルイスか。こんどオリジナルでも。
 歌詞のみならず、曲、特にサビには、47抜きなどの何らかのセオリーが含まれているっぽい。レットイットビー(あえてカタカナなのである)のギターソロのロングとショートのがあり、短いのが47抜きだったような気がする。その昔、夜の知性をリードしていた、バブル前後のころのフジテレビの深夜番組「音楽の正体」で、見た記憶がある。「喝采」などは、サビのみならず、全曲を通してそうだったかな。

 只野仁のエンディング、椿とかいう歌手の「川の流れのように」なども個人的にはオリジナルよりはるかに良かったと思ったが、全体にブログ上ではカバーの評価が低いね。グッバイマイラブのカバーも吐きそうになったとか言っている人もいる。そんなに悪くないと思うぞ。っていうか、オリジナルをよく知らないが・・・。

 思うに、カバーVSオリジナルという問題では、オタクたちはシェイクダウン(ひげガンダムとか)を含めてかなり多くの事例にさらされており、思い出とかそういうものよりは品質を重視する姿勢が育っているのではあるまいか。

 「不信のとき」は、ふがいない男が愛人に子供を生ませた結果、妻と愛人の両方から棄てられるみたいな話だったけれど、見れば見るほど、根性に甲斐性がないし一夫一婦制に毒されているような気がする。「かみさんも、愛人も、ちゃんと本気で愛さんかい。一人に愛を注げない奴が二人に注いでうまく行くはずなんてないもんねー」とぞ思いける。助演男優に「浮気は文化」の石田純一を使う周到さは見習いたいものだと思う。

 もっといえば、「浮気は文化である」し「一夫一婦制は文化ではない」のである。押し付けられた貞操観もまた文化侵略に他ならない。