言葉のこと

http://www.taishukan.co.jp/meikyo/0403/0403_2.html
とはいっても、橋本治によれば枕草子だってそりゃぁ無茶苦茶だし、「文法的に正しい」という保全部分と、「状況にあわせた語彙と用法の変化」というのはどちらもかなり大切だと思ってる。

「1000円からいただきます」は「1000円から計算させていただきます」ということではないかと思うし、そのた、きもい、接続詞「なので」、などは、いずれ日本語として定着して行くであろう。むしろ、それはそれで大衆文化の繁栄として認めた上で、それがわかったうえで、若者言葉も使えるような表現力と時代に即応した情動性を持つ上部構造としての知識人文化を醸成する方が可能不可能の軸でもまっとうな方向性であろう。

「いう」を「ゆう」とかは言文一致の流れだと思うぞ。ここ100年で発音が変化したようにも思うが。

 僕などはどのぐらいを話し言葉的に砕き、どのぐらいをこ難しく書くかなんてのを往々にして同じコラム内でも楽しんでいたりする。だからって、考えては書かないけどね。逆に若者と若者言葉で話せなくなったら歳とったってことじゃない?

 おそらく同時に、若者文化が中核をなす音楽なども一緒に理解できなくなってしまうのだろう。それは悲しいことだと思う。

 あと、根底には昭和23年の国語改訂で、「つまづく」を「つまずく」に、「うなづく」を「うなずく」にしたりして、無茶やってるから、そこからの流れだと思えば言えなくもない。っつーか、丸谷君などは絶対にそう言うであろう。僕もかなりの部分をそう思う。上部構造さえちゃんとしてれば文化は守れるんだけどねぇ。それを大衆化してしまったのは、大変な問題だったねぇ。

 英語を教えるぐらいなら、漢字を1092字といわずに、6000ぐらい教えれば、あれは読み方もたくさんあるし表意文字だから思考力もつく。語彙も飛躍的に増える。なにより、一語多義性の高い外国語を理解するのに大変役に立つ。特に語幹理解ね。これが出来ると語彙学習はかなりスムーズに行く。森鴎外は出来たんだっけ?そういえば今ではニューカレジエイトも語幹を引けなくなってしまった。あれは良い機能だったのになぁ。こうして学力や能力そのものが低下していく。ま、僕も人のことはいえんが。

 その意味、敬語全体に関しては、まぁ、大衆でも理解できて良いんじゃないかい?とは思うね。