過激な人に会う

 ここでは何度も書いているが、僕の周囲では現代の政治を考える者として、最低限の共通認識はここが植民地であることと、もうすぐ破綻すること。付随して、人によってはもうすぐ宗主国が変わること、東アジア有事などの認識がある。
 これはいわば「最低限東大を出ていないとそっち側の世界に参加できない」というぐらいの共通項で、ここを外れるとそもそも話がスタートしない。初めて会った人や、情報が少ない学生ならともかく、ある程度の年齢になった人がそれほど食いついてもいないのに、いちいち上記の最低限の認識を説明することなんて、めんどくさくてほとんどの人はやらないようだ。最近は僕もめんどくさくなってきた。まぁ、もともとそこを主眼とするのではなくお金の絡みで説くことばかりではある。
 とにかく、少なくとも僕の周囲はそういうことで成り立っている。が、おそらく一般人よりも遙かに政治を話題にするし、具体的に仕事以外の活動に関わってもいる。飲み屋に行っていると周囲が引くほど語られる内容もディープであるようだ。そういう集団だとおもいねぇ。この「そういう集団だと思いねぇ」というのは、以前にある人の不倫問題で使ったフレーズだな。

 で、そういうグループ、関わりの中に、NGOという形ではなく、営利企業の形でなんらかの活動を実現している人たちもいるわけだ。僕も日本有事(地震ですよとくぎを差しておく)を扱う限りそういう端くれになるし、投資の真実を語る限りいっぱしの起業家、思想家でもあるのかもしれない。
 
 で、見た目はゆっくりと大人しく真摯であり、環境系の意識も高い企業の社長(社員40人だそうだから、荒利30%で考えても、最低限年商で2億円は超えるだろう)に、この日の二軒目でお初にお目にかかった。家が近い(たぶん200m以内)のも知っていたし、僕が出ていない近所の会合に出ているのも知っていた。そもそも僕もこの企業の販売物の会員でもある。お世話になったフェアトレードの会社の社長も、もちろん知りあい。歴史決定論を信じてモスクワに留学した人たち、そのほか三里塚ぐらいには参加しているという共通経験、NGO業界のそれこそそこかしこから、環境系活動のそこかしこの人たちなど、まぁ、そこいらじゅう共通の知りあいばかりだ。

 だが、僕はたまたま会ったことがなかった。んで、初めて会った。

 そもそも、僕は環境系の人間と突っ込んだところでは折り合いが良くない。持続可能な社会なんて信じていないし、世界史はあと200年ぐらいで終わると思ってるし、卑近なところでは環境変化なんかよりも破綻のほうが圧倒的に影響力が大きいと思ってるし、そういうお金に関する切り口のほうが多くの人を巻き込めると思ってるし、NGOもそうだけれど奴らにはほとんどPDCAサイクルが存在しないし、まぁいろんな理由があるけれど、これだけ違えば当たり前だ。
 そもそも自給自足なんて夢にすぎない。日本人の飢え死にを防ぐという危機管理からすれば、大規模な海外移民を促進するのが一番全うであるに違いない。僕に言わせれば環境なら環境でも、本当に大切な問題から目をそらして、「良いものを食べましょう」なんて、貴族的発想にすぎない。じゃぁ、それが高くて(高いのである)買えない人はどうすればいいのさ。そういう貴族的で生死に関わっていない形でしか問題を論じず、あくまでもきれいな活動を目指している様に見えて仕方がないのだ。じゃぁ美しさと共に死ね。ほうっておいたら自然にそうなる。

 まぁいい、これも本題ではない。

 あー、どう書けば良いんだろう。書きたいけど書きづらい。
 見かけはゆっくりして紳士なこの社長、きっちり過激だったんである。社会運動とかそういうレベルではなく、突き詰めると多くの社会活動が本質的ではなく、結局のところプロパガンタに洗脳される大衆を洗脳し直すためにテロなどが必要だというテロリストの理論を理解し、あー、書きにくいんだけど、中東でとあるキャンプ(世界的に有名な日本人主宰かな)にも参加した経験を持っていたのである。主宰者とも直接の知人だったのである。もっとびっくりしたのはこの企業の社員が業務の一環でベイルートにいる今は普通に生活することもできない日本人の軍神(音は主義系の名前)の付き人をやっていたのである。こんなのが公になったらうちは潰れますと言いつつ、初対面の僕にそれこそ、いろんなことを喋ってくれたのである。そりゃそうか、僕らの会話は周囲を凌駕して共通認識があり、そして現実的で行動的で活動的だった。そういう人生を送ってきたのだった。そして、テロリストの多くは当たり前に高機能なのだった。

んで、こともなげに
「こんど一緒に(中東に)行きましょうよ。彼とも会えますよ(会う価値はなさそうだったが)。」
と言われた。
「いや、家族がありますので」
「別に家族がいてもキャンプには参加できますよ」
「ご夫婦の仲は良いんですか?」
「うん。良いよ」

 つまり、九州に戻ってきて10年間で初めて、自分の身を守るために親しくしてはいけない人に出会った。思想的に当たり前に共有するものがありすぎるだけに、この飲み屋の外で彼と親しくするのはたいへんやばい。彼の家族は、思想的に自由である結果、そうした公安的に不安定な生活を受け入れ、僕の家族は心理的に自由である結果、経済的に不安定な生活を受け入れたわけだ。聞かなかったが、毎年公安が挨拶に来るレベルの注意人物だろう。みんな友達で知りあいなのはわかるが、広島の山田さんより、福岡の菊川さんより、FGUの川口さんより、まださらに現実的にやばい。こんなにお近づきになってはいけない人に、お近づきになってはいけない状況で出会ったのは初めてだ。やばい、やばい、やばい。無茶苦茶、やばい。彼を嫌いではないだけに、おそらく彼の周囲でももっとも話が通じやすいだけに、無茶苦茶やばい。

 それに、なんでこれだけの話をしていて、周囲のみなさんは特定のキーワードに反応しないんだろう。この人がやばいと思わないんだろう。やばいことを知らないんだろう。まぁ、いつも喋ってるわけじゃないと思うけどね。

 彼に言えば、かの娘(このブログでも取り上げたことがある)にも会えるんだろう。当時かわいい盛りだったようだ。そもそも資金援助しているかもしれない。娘の母親が日本に戻ってきて捕まるまでに資金援助をしていたかどで事情聴取されているかもしれない。これから過激な世界にアクセスしたい人は面白いんじゃない?アメリカばかりでなく、ユーロも入国禁止になると思うけどね。

 次に会ったときに、お店の外では会えませんとはっきり言おう。
 まぁ俺よ、ベイルートはヨセ。