活動に精一杯でもない僕

 周辺では相変わらず環境系活動が盛んだ。でも、それを見るたびに暗澹たる気持ちになる。これから文明が滅亡するほどのインパクトがあるかもしれないという危機感がまるで感じられない。今と同じ様な世界、同じ様な生活がこれからも続きそうだという根拠がない楽天観が彼ら全体を支配している。
 本当に二酸化炭素排出が問題であれば、各原発の横に二酸化炭素分解固定プラントを作って原発をフル稼働して、動力的に二酸化炭素濃度の低下を目指すべきところまで危機的な状況にあるのに、なぜかそんなことを思いつく人がいない。排出を制限することしか頭にないようだ。まぁ、二酸化炭素が本当に問題かどうかは僕にはわからないけどね。もう少しして、本当に文明の維持が危機的になったらそういう手当もすることになるだろう。まぁ、お約束で間に合わないんだろうけれど。そもそも原発をフルに利用するっていうところが環境系に人には受け入れがたいだろう。
 僕がもし、環境活動をするとすれば、現実には文明が維持できそうにないところまで来ていることや、日本独自の地震原発倒壊の危険を説いて回るんだが、後述する理由からやる気になれない。地震は絶対に来るし、ほぼ確実に倒壊するのに、事故とか安全性とか、六ヶ所とか、なんか利きが弱いところしか攻めていない。善意があればそれで良いっていう活動なので、実効効果を狙っているとは思っていないけれど、実効効果を狙わないのなら、そう標榜すればいいのに標榜もしていない。
 もっといえば、世界が食糧危機になる前に日本だけは独自の原因で飢えるから、今やるべき最優先活動は自給率の上昇ではなくて「海外大量移民(目標7000万人)」なんだけど、そういう視点も絶対に理解されない。僕が言っていることが全部正しいかどうかはともかく、科学的に認められている地震と倒壊だけでも「命を大切にする」という視点からはリスク軽減でである(すべき)自信があるのだけれど、これを言い出すとみんなに嫌われる。理解もされない。
 だから、僕は口をつぐんでいる。弱いけれども仕方がない。これが日本の環境活動の限界だ。本質的に命を大切にするように出来ていない。

 改めて、僕が考える最優先活動は
・世界中の原発の隣に二酸化炭素吸収分解工場の建設
・海外への移民(7000万人目標)
でっす。

 無邪気に命の危険がないと考えることがどれだけ多くの命を死に至らしめるか、ことが起こった後に思い知るがいいさ。
 僕は理解されもしない上に、人に嫌われる活動をしたくない。弱弱っす。