内側からの責任

 たとえばファンドの組成は責任が生じるには生じるが、設定し公言されている運用方法を外さなければ(ファンドオブファンズなので、運用実態を細かく管理する責任も問われない)一般にはそれ以上の責任は生じない。そもそも、営業トークですら元金を保証することは禁止されているし、実際にそれを望む人はそう多くあるまい。
 この組成には確かに責任が伴うが、一般の投信と違って僕の設計した投信がどれだけ優れているかわかっているので、これを語ることには抵抗感がない。
 で、言われたのは、こういう語りというのは自己表現なんだそうだ。つまりアレだ、「レカロ、ビルシュタインミシュラン、ロレックス(安い奴)」に関する僕の語りは、見方を変えると世間的には営業作業に属するかもしれないが、心理的には「最高のものを見分け、その違いを語れる」という自己表現になっているのだそうだ。