最終回の分析

 本当は翌週まであるかと思っていたのだけれども、ボランティア交流会があるので休むはずだということに行ってから気付き、そのようにした。つまり、その場で最終回になった。途中経過としてはイマイチ成果が良くわからなかったけれど、「考えてみたらわかっていることだけれども、言葉になる形で認識していなかった」ことがたくさん明らかになったように思う。

 4月中旬からの一ヶ月ぐらいは、まとめに入った時期だったと思う。
 たとえば、病識を持って学校にも行けない、普通の生活もできないのだと知ったとき、19歳のときに通った精神科で初めて知った「自己評価」という目標に照らして、「状況を整えて恐怖感をなくすのではなく、状況をそのままにして心を平穏に保つのが最善である」という認識を持った。
 たとえるなら「大卒でコンプレックスを持ちそうだから、大卒を整えるのではなく、大卒でなくても大丈夫な自分になる」「お金が無くてつらいのなら、お金を稼ぐのではなく、お金が無くてもつらくない精神状態になる」というもの。ただ、到底難しそうだという予測はあった。
 それからたぶん13年ぐらいたつが、学歴コンプレックスは今はどこ吹く風、お金に関しても経済的状況が最も厳しかった二十代後半に比べて、はっきり言って今のほうが厳しい感じがあるが(希望はたくさんあるんだけど)、その状況に際しても心はかなり気持ちの良いままである。
 確認させられたのは、「今、自己破産してそれを公表しても、周辺の人間関係が全く変化しない」ということ。状況を知っている両家はもちろん、NGO、御近所、商売を教えている彼など、誰とも関係が変化しない。そりゃぁ、安定するか。つまり僕はそういう人間関係を作ってきたのだ。

 また、二十代前半の若い衆に対しても、同じコミュニティーの年寄り側の一郭として同じ社会認識を持ち、似たような知識を持ち、似たような解決策を考えるという(個性と得意不得意はあるにしても)状況があり、自分自身の人生の継続性を認識することになった。これは裏を返せば時代に追いつかれたとも言えるのだけれど、個性の強さ、経験の特殊さを超えて、僕が普通に生活をしている人たちと似たような認識や考え方を持ちつつある部分が増えてきているということでもある。個性を潰す生活などしていないから、個性をそのままに、一定の見識としての社会認識を身につけたということなのだろう。

 このほか、これまでにも書いた「マイナス思考に終始しない(マイナス思考が悪いわけではない)ことの現実的利得の体感」などもあった。

 ある意味、明らかに歳をとったのだと思うが、僕はこの状況の下でほとんど限界の成果を積み上げてきたと思う。スタートがともあれ、その結果に自信を持てることで、ある程度の流転が怖くなくなった。

 まぁ、そんな感じだ。