別に頭が悪い奴が公教育を考えるのを否定しないが

 何度も言うように、貴族主義者の僕は公教育には全く興味がないし、家庭文化や教育こそが教養醸成の最有力エンジンであると強く表現しているし、そもそも公教育に学力育成を望む時点で家庭文化は終わってると思うし、公教育がいくら悪くても国を支えるような人間は頭角を現すと考えているが、


日教組が強い県は学力が低い」という言葉を
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20081201-01/1.htm

中山氏が全教を含めて左翼色の強い教職員組合の代名詞として「日教組」と言っているのであれば、そのような組合が強いところは「学力が低い」。

と置き換えるのはどうかと思う。馬鹿が教育を考えるとこうなる。「左翼的な教育組合が」と言いたいならそう言えばいいのであって、「日教組が強いか弱いか」は普通は組織率で考えるのが適当であろう。中道的な日教組活動が結果的に教育レベルを上昇させているのであれば、それはやはり日教組の効果なのではないかい?