usopのところにトラバ

 http://d.hatena.ne.jp/usopamchi/20090805/1249493038#c

 外向的解決が必要な問題と内向的解決でも解決できる問題を一緒にしているので、難しい部分はあると思う。たいていの場合、自分とは別のほうの解決方法や問題提議は抽象的だ概念だから、相当の理解力を要するが、言っていることは

そういう人たちに、状況が変わらなくとも、考え方ひとつで幸福になれる方法は他にあるよ、と説いて回るの?

というのは間違いない。それは認識力の成長なので。そういう人たちとは文脈とは違ってすべての人をさす。差別する側も、差別される側も、等しくこの世の現実の被害者でしかないのさ。

 あと、福祉と言ったから誤解されているようだけれど、社会正義の実現でなければ自分の中で完結する概念に福祉は必要ない。君が楽になりたいのであれば、君自身の現実理解を変化させれば良いだけの話。君にわかりやすいように病気の話に絡めていたけれど、これは病気と関係なくほとんどすべての人にとって大変な作業であることは間違いない。

 現実に「消費が支配的な社会」でそのシステムから外れて生きていて全然不幸じゃない人はたくさんいる。感じ方どうこうはどうしようもないと言い切るのではなく、自分の幸福が大切ならばなんでそんな頭になっているのかをのぞき込んでみるぐらいはやっても良いはずだし、実際に大量に消費している人たちがどれほど不幸なのか、実際に消費量と不幸の割合はほとんど関係がないことに気付けば、消費を求めても幸福になれないんだから、そんな無駄なことを辞める人はたくさんいると思う。

内なる幸福を重視するのは結構だけど、ともにゃとの話の文脈で行くと、社会はそのまんまだよね。

その通り。内なる幸福に社会の是非は関係ないので。
そんなの消費がほとんどない時代に幸福を感じていた人と、現在の消費の世界での幸福な人の割合がほとんどかわらないとすると(たぶんかわらないか、現在のほうが低い)、それを感じられないとすれば、それは君が現在の社会に洗脳されているだけということになるので、洗脳から逃れればそれで済む話ではないかということ。

 それがさしたる根拠もなく「それとは別問題」というのはどういうことなのか良くわからない。
 「ともにゃが言っている理屈はわかるが、僕はどんなに不幸でありつづけるように強制される洗脳だとしても、この洗脳から自分の心の距離をとって幸福になるなんてやりたくないという好みの問題なのだ」という理解で良いのかな。

 消費力と幸福に相関がないのは例外ではなく、当たり前の話。堀江などの話も全然例外ではなく、普通のこと。これを例外と無批判に感じるほど、君は洗脳されているわけ?なんども繰り返すのだけれど、消費力と幸福は完全無相関だから。それを勘違いしているとすると、本当に単純に洗脳されているだけだから。これはちょっと社会のことを勉強した人ならすぐにわかると思っていたというか、僕の周囲でこのレベルの洗脳から抜けていない人はいないため、ここは言葉足らずだった。

 ただ、生存の危機だけは別。生物の基本原理に消費はないが、生存の追究はあるので、生存追究は洗脳でもなんでもない。だから、生活保障を現代社会の最大の特徴としているわけ。

 どうみても、周囲にマルクス以降を勉強した人がいないんだと思うんだよな。そうした古典的な1軸しかないものの見方は60年前から一貫して古くなり続けてきた観点なので、一神教世界での世界理解ではどうしてもそうなりやすいのもわかるが、現代思潮の会話としては通じづらいと思う。


 繰り返しになるが、「心ひとつで幸福になれるよ」というのは搾取される側の人だけに必要な洗脳ブレイクではないことに注意。洗脳されている以上、搾取する側も等しく被害者なのさ。これは階級闘争ではないのよ。ぜんぜん別の価値軸だから、消費力と相関がないわけだし。

むしろこの破壊的かつ抑圧的な僕らの生活環境

は、消費力や階層、競争に勝ったかどうかとは全く関係がなく、等しく全員が直面している問題でしかない。

 これを階級闘争に持ち込むと、非常に狭い話になってしまうのさ。

 こうした幸福感は社会変革では全く達成できないし変化できない。「消費は良いよ。幸せになれるよ」という洗脳を肯定した上での社会変革でしかないからね。洗脳論理上の公平など、幸福感にとってなんの足しにもならない。これが本当に社会変革で達成できる問題だとすると、やはりテロはかなりの近道だろう。洗脳システムそのものをも破壊し、消費洗脳を忘れられるぐらいの原始社会に戻すことこそが解決策であろうから。

 ふたたび病気の問題に言及しておけば、こうした価値軸を変化させるほどの抽象概念の理解は難しいのか?