通常の健常者に備わっている負の能力

 メール交換していて、一般的な健常者ついて改めて痛感したので、ポイントをまとめておく

・通常、人は成長も変化もしない。誰かを変化させることも、成長させることも出来ない。そう勘違いしたくなる瞬間があるのは認めうるが、そのタイミングに立ち会うことが出来たとか、その準備が出来ている人に最後のインパクトを与えたとかの場合だけ。(ただし、頭がいい人にとっては情報が最後のインパクトになることがあるので、僕の理念は存在する)

・通常、人は「出来ない理由」を探すことに長けた種族であり、出来ない理由を見つけられない人は、おそらくこの世に存在しない。また、「出来ない理由を探さない」のも、「出来そうだと思う」のも等しく、難しい種族である。

・論理的整理と思考は、確実に「出来ない理由」に人を導く。論理はそのまま恐怖とつながっており、肯定観からは最も遠い作業であるから。

・結果、論理的に優位な能力を持ち、一般的社会で普通に成功しているのは、減点方式でものを考えて保険し続けた人である。つまり、「減点方式でものを考えて保険」し続けられなければ、論理的な人間が社会的に成功できる可能性はない。逆に、マイナスの可能性を想定できない人のほうが、短期的には社会的に良い思いをしているように思われるが、なんの保険も掛かっていないので、有事や制度の変化、無責任に対して極めて脆弱である(年金、住宅ローンしかり)。つまり、論理的思考が弱い、中途半端に馬鹿な奴をうまく使うようにこの世の中は出来ているし、そこにはまると大きく騙されるが、一定の小さな良い思いは出来る。

・他方、それでもトップクラスは論理的悲観性と保険をを抜けた人であるようであり、ロックフェラーですら「優秀な人間は、最悪の状況を想定しながら、楽観的に行動する」と言っている。これはトンデモナイ苦行であるが、まぁ、マイナス思考の人間なら、論理性が低いバカよりもまだ近所にいると言える。

・まとめると、論理性が妙に秀でていながら、保険をかけ続けるという退屈な人生を要領よく生きられない人は、社会からはみ出やすい。ここで言う保険とは、学歴や、出世など、世間一般で形成されている悲観性のないバカを騙す制度に則って、その裏の真実を読み解きつつも、その制度の中に短期的な最大のうまみ鉱脈が眠っていることを理解しつつうまくやるということである。(ちなみに、芸術家タイプは、マイナスをあまり見ないで成功した人が多数存在する。それはそれで才能なので、論理性が低い楽観突撃者をそのままバカと表現するのは問題があることを知った上での表現でアリマス)

・代表例としては「悲観性のある東大生」ということになり、学歴や出世を完全に相対化しつつも、「でもうまくやったほうが得だから」という計算の元で東大に入っている人などとなる。僕の体験談としては、国立にやっと通るかどうかという成績の人たちが、図書館の自習室で必死で勉強しているのを見て、驚いて、げんなりしたものだ。「勉強で勝負する以上、お前らの上には、トンデモナイ奴がたくさんいる。その世界で良い思いをする可能性はゼロだ。もっと他のことやった方が良いんじゃないの?」というもの。逆に、ラ・サールに行ったような奴らは、「自分はここで勝負した方が得をするから勉強するのであって、得しないならほかで勝負する」という奴が多かったように思う。

・可能不可能は別にして、底辺から立ち上がるのは博打でしかない。「命を追い詰められる危険はあるが、現在、一時間後、一週間後に追い詰められている」わけでないひとには厳しいだろうが、追い詰められて命を賭けた博打ならいろいろあるので準備しておくことは可能。命が惜しい健常者が出来ないことをやるとすると(その元気があるのなら)、戦場写真家とかね。どれだけ危険なところに行って、健常者が撮れない写真を撮るかみたいなイメージで。もう俺には出来なくなったな。シミュレーターで熟達しているヘリの免許も止められてる。
 仮に自殺するにしても、「おまえら日本人には理解できない危険の存在を教えてやる」と言いつつ、夜のナイロビを歩いて殺されてみるというのもあるかもしれない。危険地帯をさまよった詳細記録なんて、なかなか出来ないからね。「バックパッカーも歩けば戦闘中の生誕教会にいきあたる」だったっけ?本人達もわからないまま、バリケードを越えて生誕教会に行き着いちゃったんだっけ?バカの成功人生の類型例だな(わけもわからず目標を達成した後で、戦闘に巻き込まれて殺されたりしたら)。まぁ、そういうバカと一緒にされないぐらいの最低限の準備(声明)は必要だろうけどね。

・なんにせよ「出来ない理由を見つける能力」は論理性の普遍的な結果であり、健常や病気とは関係ない。これは実際の可能不可能とは別次元の問題でしかない。でも、このことを理解できる人は健常者にも病気持ちにも等しく少ない。改めて痛感した。

・まぁしかしだ、先行きが見えないのも才能のうちで、このループから抜けなくても最低限死んじゃうんだから、健常者みたいにそのままの状態を何十年も生きちゃう可能性はないよね。そこら中で話し続けた「高所得女性と結婚する方法」にしても、「出来るところまでやって」みるという姿勢が必要なわけだよね。出来るところまでの博打を打ち続けると、意外に想定しなかった結果が出てくるということさね。どうせ生き残れないんだから、出来るところまでやるのが博打だし。でも、健常、障害にかかわらず、それが出来る人はまずいないという意味。わかんねーか。わかんねーだろうな。わかんないまま状況に殺されちゃう人のほうが多いんだろうしね。命なんてはかないものだよね。