僕の「もったいない」は「もったいない」じゃなかった

 先日、もったいないの話を書いて、今の若者世代にもったいないを浸透させるための5つのもったいないを挙げたが、今日、マイ父に話したら「そりゃ『もったいない』じゃない。本来の『もったいない』はそうした経済論理とは無縁のタダの『もったいない』だから」と言われて、衝撃を受けた。母親には「みんな金の話ばっかりやん」と言われた(こっちは別に衝撃を受けなかったけれど)。

 天秤にかかる価値が明確なのは、本来の「もったいない」ではないんだそうだ。そう言われてみればそうか。「食べ物を残すのがもったいない」というのは、「残すという動作が、残さないという動作に比べてもったいない」とは言っているものの、そこに金銭的価値や現実的利得の計算を明確に行っているわけではない。

 で、結論としては「恐るべしアメリ占領政策」。覚悟はしていたけれど、僕も消費文明、物質文明に侵されてしまった一人であったという話でした。