何がリスクなのか

 20年来のかみさんの友達(第一子が現在6ヶ月ぐらい?)に、かみさんが「学校は行っても行かなくても良いと思うのよね」と言うと、「なんでそんなに頭が柔らかいのー?」と言われたようだ。

 で、その友達に見せるべくこれを書いているわけだが「何がリスクであるかの判断」はこれからの子育てに非常に重要だと思う。つまり、米国籍をとるのがリスクなのか、日本社会になじめない教育をするのがリスクなのか、日本社会の中でもサラリーマン社会になじめない子供を育ててしまうのがリスクなのか、様々な論点はあるが、僕の最大のリスク基準は「多数派に所属すること」だ。100歩譲って「多数派に所属しようとすること」にしておくか。しかし、その姿勢こそが人生をあっけなく巨大な問題や世相の流れに身を任せる要因であると明言しておきます。

 現在の乳幼児の人生のリスクを考えるとき、日本人であれば現在の欧米のように良心的拒否が認められない「徴兵」が最大のリスクで、その次が関東震災に遭遇するリスクで、同レベルで東海原発メルトダウンに遭遇するリスクという順番になるでしょう。

 それらのすべては「多数派の中で状況の変化を受ける危機」だ。それを回避するためであれば、様々な手段を講じなければならないという現実。つまり、本人が望みもしない学校に行かせている暇などないし、多数派に体をあわせておく暇などないです。右翼であっても、日本沈没の時のために日本以外の地で日本文化を継承することを目指すならともかく・・・。

 こうした一種の棄国こそが、オルタナティブな発想であり、世界を変えるよりは自分を変えた方が楽(確実)という発想であり、結果的には日本文化の確実な継承になるのではないかと、僕の中の右翼的思想は言っています。

 僕の中の左翼的思想は愛国心と無縁(愛地球心と仲がよい)であるため、この発想が悪でなかったりします。