小泉批判は良いけれど状況認識は甘い

 小泉批判が随所で展開されている。まぁ、普通はこれだけ議席が偏れば危機感を持つのが普通だろうけれど、その論点は僕とは現状認識を大きく違える。大きくわけて3つ。

・解散を使って国会を自分に従う者一色にした。これはファッショである。総理官邸の政策がもっとも強いのは危ない。
郵政民営化などを含めて、このままでは日本はアメリカの植民地になってしまう。
・報道の締め付けも厳しくなってきた。

だいたいこんなところか。これからは役人の首が切られていくんだそうだ。

 まず1点目。
 これがもし問題であるとすれば、それは議院内閣制という制度の問題に他ならない。もっといえば衆愚政治の問題なのだから、小泉批判の論拠とするには全く筋違いである。どうせ民主主義が正解を出すことなどあり得ない。だとすれば、大統領制のように、政権によってはっきりと色が違う政策を実現していくというのは、功罪が明らかになると言う点で非常に大切なことであり、問題にするようなことではない。
 むしろそうした功罪を正確に評価して次の投票行動に役立てられないことによって、民主主義の限界が我々には突きつけられることになろう。

 2点目。
 すでに植民地であり、戦後一回も独立したことがないという認識が欠けている。自衛隊宗主国宗主国による宗主国のための部隊であるから、日本のために働くことなどあり得ないし、それを期待して、思い通りになると思っている人がいること自身、日本が平和であることの証左であろう。状況認識として論考に値しない。

 3点目
 記者クラブ制の存在によって、日本のマスメディア報道が自由であったことは過去にない。マスメディア以外のものに対する報道管制が強くなるとすればそれは問題だろうが、そういう事態になったとしても、昔に戻るだけでこれまで我々が経験しなかった事態に遭遇するわけではない。

 このぐらいのこと、もっと多くの人で共有したいもんだ。馬鹿馬鹿しい。