僕の裁量成績は相当悪い

 僕の裁量成績は相当悪く、勝率20%、PFで0.6(損益平均はちゃんとしている?)ぐらいでどうしょうもなく、また相場観をつけていくという方向性も持っていなくて、問題を感じることもあるんだけど、昨日話していて、感覚が明らかに優れている分野を発見した。

 情報の取捨選択である。特に高額有料情報の選び方のセンスは抜群であるようだ。書籍も含まれる。有用な情報が直接的に多大な富の源泉になることを考えても、相場巧者と同じ様な才能であるかに思う。だから、相場を始めて一ヶ月もしたら相場関連ニュースを読まなくなったんだなぁ。めんどくさいのもあるけど。

 商品先物を始めた年、ガソリン灯油の裁量デイトレードでほとんと潰れていた頃に、カードで28000円の相場本を買ったのは印象的だった。買った当初はその意味の半分ぐらいしか理解できていなかったけれど、実際、それだけの価値はあったし、しかもこれが僕が最初に買った相場本だったのは、かなり自慢できると思う。

 あともう一つ、改めて聞かれれば、相場師と自己紹介することは多いが、ちゃんと話す時間があれば、一般的な相場師と全然違うことは十分に説明できる。ある掲示板で「ドキドキする相場をやらないと儲からないと思う」というのを見て愕然としたのと同じ。ロバート・キヨサキが「トレーダーは投資家ではない」というのがはっきりわかった。確実な利殖に不安は無縁だ。

 で、投資家と相場師の違いは「投資家は相場よりも利殖が好きで、相場師は利殖よりも相場が好き」ということか。必要十分ではないにせよ、言い方を変えると「板を見ていて眠くなるのが投資家で、板を見ると目が覚めるのが相場師」。まぁ、どっちでも良いんだけど、少なくとも僕はリバモアを尊敬しない。僕に言わせれば彼は人生の敗者に過ぎない。戦略は常に戦術戦闘に勝る。相場の上手い人というのは戦闘が強いということなんだろうし、それはある程度の尊敬の対象になりうるが、その尊敬のレベルは「格ゲーが強い」というレベルでしかない。すごいけどね。それで幸せになれるかどうかというと、ほとんど相関はないだろう。

 快楽主義は幸せを求めるので、格ゲーが強いことが幸せにつながっている人を真似したいわけ。その道筋で格ゲーではなく投資を最優先に掲げるのは「労働単価が高いから。あるいはほとんど全ての職種のなかでもっとも高くなる可能性を内包しているから」である。この事実は、タイムリッチとキャッシュリッチを同時に成り立たせる要素を強く暗示している。残るのはフレンドリッチなのである。