借金のこと

 http://d.hatena.ne.jp/black_onyx/20060423#1145767426
トラックバックのつもり。失敗する可能性大。

 確かに道徳としてはそうなんですが、相手は商売でやってしかもその資金調達は社会資本によって行われているため、「友達から借りた本」とは一緒にはならないです。
 もっといえば、そうしたしっかりした道徳観を逆手にとって死に追い込むような取立てで多くの人が命を落としていたり人生を狂わせていたりすることを考えると、「忘れないで、お金よりも大切なものはなし、忘れないで、あなたよりも大切なものはない」というフレーズが生きてこようというものであります。
 臓器とお金が天秤にかかって、臓器を提供しなければならない社会があるとすれば、それはあまり誉められた社会ではないのではないかとも思いますし。個人的には「姦通で死刑」というレベルの僕に理解できない古代的な道徳を感じます。
 だからというわけではありませんが、比較的大規模に商売的に金を貸している人の金を踏み倒すのは心が痛みません。

 総じて、個人的にそうした道徳観を持つことはすばらしいとは思いますが、社会にそんな道徳観が蔓延することは結果的に多くの不幸を生むと思いますし、その道徳をまもらなかったからといって多くの人が不幸になるわけではないです。幸福の総量はその道徳を踏みにじったほうが多くなるのではないかと思います。
 もうひとつ進んで、そうした道徳観を踏みにじって幸福になる能力がある人のほうが、おそらくたくましく、拝金主義が蔓延する現代に順応している生き方ではないかとも思います。

 処女に価値があるとする道徳観が創出する不幸と、その反対にある幸福の総和で考えて、不幸のほうが大きいので処女性という価値観が無くなったほうが良いと僕が思うのと一緒です。
 「そこに愛はあるのかい?」を転じて「その価値観に総和幸福はあるのかい?」という勢いで。