WTC再建
BSで特集やってる。建設中の2年間、テナントがひとつも入らなかったんだそうだ。死の記憶が濃厚だからだとか。新しいビルは最も強い建設物なのだそうだ。
しかし、僕がもしビン・ラディンだったなら、第一攻撃目標だな。
テロの意味がわかっていない、わかろうとしない、ただ「かわいそうな私」で終了させようとする人々が、今後とも何一つ理解しないままであったとしても、
グラウンドゼロに「二度と」足を踏み入れられなくなるのなら、
そういう場所が世界にひとつでもあることを世界中の人々に記憶させられるのなら、
そこからわずかな人々がグローバリゼーションの意味を考える道筋につながるのなら、
あの場所で再び凄絶なテロを行うことの意味は絶大だ。
再び、歴史に消しえないテロリズムの効果と傷跡を残すだろう。
もちろん、死者は追悼の対象たりえる。しかし、死者とその家族に対する洗脳システムを破壊するために、それだけの正義と命題を持つ人が世界中に何億人もいることはわれわれが覚えていなければならないことだろう。この意味、僕らの日々の生活は、攻撃対象になるだけの意味に満ち満ちている。
「あなた方は生命の定義をもっとまじめに行おうとするべきだった(だったかな?似ているとは思うが)」という攻殻機動隊の人形使いの言葉は、そのまま「あなた方はテロの意味をもっとまじめに考えようとすべきだった」という言葉に置き換わるだろう。「かわいそうな私」という概念はすべての理解を阻害するのに非常に便利だ。