あるMLに書いたこと

環境系の多いあるNGOのMLに書いたこと。

確かに「温暖化なんて起こっていない」という見解は悪意のある嘘としても、それと似たようなレベルで自分には「持続可能な社会」が言葉のまやかしであるようにしか思えないんです。悪意があるのか、まじめに物事に対処しようとしているかの違いはもちろんわかります。

しかし、「命を大切にする」ために、いま最優先でやるべきことが日本人の大量海外移民だとすると(確たる結論としてもっているわけではないですが)、それを特に環境に興味のあるみなさんに説明して回っても、嫌われるだけのような気もします。二酸化炭素が本当に問題なのなら、それは排出規制の段階をすでに超えていて、動力(余剰力のある原発など)をかけたとしても回収を行う段階にあるのではないかと思うのです。(ここいらの科学技術はあまり勉強していませんからいい加減です)

良く知っているわけではないのですが、多くの人が「持続可能な社会」と言うとき、文明途絶や人類人口激減の危機に対して思考停止しているようにしか見えません。

持続可能というのは、世界人口60億人の現代文明が持続可能ということなのかなぁと思ってしまうのです。そうでないのなら、50億なのか、30億なのか、10億なのか、それがどの時点なのか、その想定は可能なのか、という疑問が沸々とわいてくるのです。

人類人口が激減するのだとすれば、その波をいかに緩やかにするのか、どのぐらいの人口であれば持続可能な現代文明が維持できるのか、激減した後の人類文明はどのようなものなのかという、想定がもっと現実的に議論され、恐怖され、対策されても良いと思うのです。

何度も言うように、変な楽観は被害を拡大します。命を大切に出来ません。

でも、これらのことを伝えるのは、たとえ科学的真実を含んでいるとしても、環境系の活動をしている人たちには大変嫌われます。僕の問題提議や言葉は、気持ちを大切にしていないと言われるのです。また、命と気持ちで、気持ちのほうが大切だという観点もわからなくはないのです。どのみち地獄絵図が待っているのなら、残された時間をいかに幸せに生きるのかという命題もあり得るからです。ただそれにしても、それだけの覚悟を持って欲しいという願いはあります。

自分自身の選択として、嫌われても頑張るのか、嫌われるから頑張らないのかという二択になります。で、嫌われてまでやりたくないのが実際です。同時に、今の「持続可能な社会を目指す活動」を見ると、自分が怠けている現実つらくなるので見たくない気持ちもあります。

世界ではなく日本だけの危機として、そう遠くない将来、東南海連動地震は来ます。地震学会の震度6以上予測も昨年から今年に跳ね上がりました。曰く、

阪神大震災 (1995) 以降、日本列島は地震の活動期に入ったといわれていますが、政府の地震調査研究推進本部は、2007年度版の 「地震動予測地図」 を公表しています。2006年版に比べて、東海から四国、九州東部、沖縄地方で今後30年以内に震度6以上の地震が起こる確率がはね上がりました。県庁所在地で発生確率の高い順に、1位静岡86.5%、2位甲府82.0%、3位津61.3%、4位高知52.3%、5位徳島44.9%、6位名古屋37.1%、7位和歌山34.1%、8位横浜32.7%、9位千葉27.1%、10位大阪22.5%…などとなっています。逆に小さいのが、1%未満は、福島0.1%、盛岡0.2%、宇都宮0.3%、札幌・佐賀0.5%、山口・福岡0.6%、長崎0.7%、松江・鳥取0.8%、前橋0.9% となっています。ちなみに首都東京 (新宿) は11.4%です。(情報元:大阪朝日4/19日付)

僕は地震後のG8復帰は無理だと思っています(それがいいことかどうかは別にして)。

同時に、国家財政破綻も来ます。こちらは上記ほどの被害ではないにせよ、もっとも遠い予測でも、10年以内ぐらいでしょうか。

どのみち、食料を輸入している場合ではなくなるでしょう。現在の第一次産業が石油動力に頼っている以上、円が弱くなればそうした動力一次産業も維持できなくなります。

世界の気候のことは良くわかりませんが、日本に限って言えば、この二つの危機は間違いないです。どちらかひとつだけでも、多くの人が飢え死にしかねないインパクトがあります。

百歩譲って、もしかしたらこの文明は持続可能なのかもしれないけれど、仮にそうだとしても日本人の命を大切にする活動は必要だと思うし、それは環境対策ではなさそうです。

本当にやるべきと思っている活動をしないのであれば、この活動に関わるのも別に悪くないことなのかもしれませんが、自分自身の理念レベルではこうした葛藤を抱えています。