カーソンのように

最初に軍隊が戦場に送られても、誰もそれを戦争とは思いませんでした。

最初の弾圧が行われても、誰もそれを弾圧とは思いませんでした。< http://www.rnac.ne.jp/~satoukun/marutin.htm >

最初の惨殺が行われても、誰もそれを惨殺とは思いませんでした。< http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060304#1141406332 >

最初に食べ物で病気になっても、誰もそれを自分の問題とは思いませんでした。

沖縄で多くの人が犠牲になっても、ここが地位協定< http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20010710/ >
という覚え書きを伴った植民地であることに気づきませんでした。

どんなにマスメディアが規制されていても< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E8%80%85%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96 >、
(松岡農相の自殺報道と同じ日↓)< http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-492.html >
人々は自分の意見が管理されていることに気づきませんでした。

最後に命がつきるときまで、人々は自分が抗いづらい大きな波の中で余生を生き
ていたことに気づかなかったのです。

大昔から9条は真剣に平和を願う人を騙すための便利な道具でしかないし、この60年間日本が独立していたこともないんです。

60年前、カーソンが多くの人に読まれたように、映画や文学に訴えるかなぁと、漠然と思いつつもあります。

なぜ、あの時代に「沈黙の春」が読まれたのか、それがデファクトたりえたのか、その勉強は必要だな。