テロについて・・・もう一つの思考停止

 かなり緊急性と重要性のある課題に対して、みんなが気がつかないか、気がつかないふりをしているという事態は良くある。次回の連動地震や世界の気候変化に比べると、日本一国の国家破綻などは「緊急性はあるが、重要性は低い」事象に属する。そういうレベルの緊急性のある課題があるとする。グローバリゼーション(世界総植民地化)などはこの50年間はそうたり得たのかも知れない。赤軍などはここいらをある程度弄っていたはず。
 その問題に対して、同じく被害者であるはずの人々(先進国でも大衆はグローバリゼーションの被害者たりえる)がいたとする。でも、気がつかないか、気がつかないふりをしている。その結果、多数派を形成し、選挙制度のもとで結果的に脅威のサポートをしている事態がある。
 もちろん、「その人たちを気づかせるため」というプロパガンタこそがテロの第一目的である。人が死んでみんなが気づくこともある。まぁ、日本には記者クラブ制があるので無理だけど。まぁ、世界的にはメディアが自由なので惨殺が報道されるときにその原因や意図についてあまり偏りがない。沖縄の野口さんを考えてみねぇ。
 ただ、テロリストがテロによって人を殺すもうひとつの理由は、もの言わぬ大衆、もの言っても情報が制限されている大衆、制限されていることに気がつかない大衆、制限されていることに気づきたくない大衆も等しく敵と見なすのだ。これはなかなか過激です。真の過激といえるか。
 だから、大衆を殺せる。わかりにくい論理だなぁ。
 まぁ、なんにせよテロとは扇動の最終形態でございます。

 公民権運動の時、運動している黒人がどんなに惨殺されても誰も気にとめなかったのに、北部から来た白人が殺されるとアメリカ中のメディアで取り扱われました。そういうことです。辺野古でどんなに暴力的排除が行われてもニュースにならないけれど(まぁ、これには日本特有の理由もあるんだが。僕は沖縄人が独立運動を行わないことに最大の問題があると思うのであまり同情しないし)、栃木で女の子がさらわれると全国的なニュースになります。