5回目

 なんかいろいろ話したな。
 「あなたにとって我慢とは、常に外から来るもののようですね」とか言われた。まさにそうなんだが、普通の人は違うのね。むー。で、自分の中から出てくるものが自由。で、自由と我慢が対立してる。まぁ、その通りなんだが、普通は違うのね?そんなもんなのか・・・。
 で、思ったのは、事業を興すなどの行動を行って、んで、その瞬間は自由が増えたりするんだろうけれど、それが結果的には様々な有形無形、既知未知の責任となってのしかかり、我慢を強制するイメージがある。しかも、連続的に。だから、多くのもので天秤が釣り合わないわけだ。
 この「未知の責任、予測不可能な我慢」というものをかなり僕は恐れるね。わかっていれば回避したのにぃと思う。
 広げて、新しい人間関係に関しては、非常にそれを怖がるね。昨年の8月からNGOの事務局会議に出るようになって、今年の1月ぐらいから50代の頭の柔らかいおばさまと毎回顔をあわせるようになったのだけれど、最初の数ヶ月はその人の反応にびくびくしていたように思う。始終、一緒にいたときの言動を反芻したりしていた。嫌われたりきついことを言われたりするんじゃないかと。まぁ、自分が普通じゃないという自覚はあるしね。彼女も決してタダの普通ではあり得ないんだけれど。
 それが役割が安定している場所だとあまり問題はなかったりする。たとえば、プール監視員とか、プールでの振る舞いとか、そういうのは何年もプールに通っているとたぶん大丈夫なことの範囲を既に知っているという安心感がある。ただ、今日の話で出てきたのは、マシンジムにいる係の人。この人たちがどこまでの役割を担ってそこにいるのかが良くわからない。しかも、妙にかわいらしい女性だったりすると非常にぎこちないのだ。
 自分としては基礎代謝増大のための対処、おなか周りの脂肪の除去などのために何が良いのかを聞いてみたりしたいのだけれど、その役割を担う能力があるのか、そういう相談を受ける立場にあるのか良くわからない。
 で、立場と関係が安定しないので、いろいろと気を使う。変に思われていないかと、心配になる。
 「それは、大変なストレスですねぇ」と言われ、そうだなぁと思った。だいたいそんなことは受付に聞いてみればいいことだ。
 っとまぁ、西日本でトップクラスの分析家にかかるとこんな良いことがあります。